次の大会の朝、会場の空気はひどく乾いていた。早朝の搬入口から楽器を運び込む部員たちの顔には、これまで勝ち上がってきた高揚よりも、言葉にしづらい緊張が浮かんでいた。受付前で配られた進行表を見た杉本が、あからさまに眉をひそめる。審査員席はやはり中央寄りに固められ、講評の観点には前日まで共有されていた文言と異なる表現が混ざっていた。違反と断じるには曖昧で、偶然と片づけるには出来すぎている。その半端さが、かえって全員の心を乱した。 「こんなの、どう受け取ればいいの」 小野寺の声はかすれていた。真壁は何か言いかけて、結局唇を閉じる。澪も譜面ファイルを抱えたまま、胸の奥が少しずつ冷えていくのを感じていた。ここまで来ても、見えない手に演奏の意味を削られるのではないか。その疑いは、楽器より重く肩にのしかかる。 本番前の短い音出しの時間、篠崎は細かな指示をほとんど出さなかった。代わりに部員を円形に集め、静かに言った。 「いま不安なのは正しいです。納得できないこともあると思う」 誰も顔を上げない。篠崎はそれでも声を変えなかった。 「でも、今日ここにいる人は、審査員だけじゃない。正面に座る人も、横でたまたま聴く人も、結果発表だけ見に来た人もいる。僕たちの音楽は、その全部に触れられる」 澪はそこで、初めて顔を上げた。篠崎の目は、励ますより先に信じている人の目だった。 「中央の席で輪郭が見えるなら、それでいい。端の席で余韻が長く残るなら、それもいい。後ろで低音が地面みたいに広がるなら、それも僕たちの音楽です。評価はその一部を切り取る。でも演奏そのものは、切り取られない」 短い沈黙のあと、篠崎はいつものように指揮棒を持ち上げた。 「取りにいこう。点数じゃなく、会場全体の記憶を」 その一言で、澪の中の何かがすっと定まった。勝ちたい気持ちは消えない。けれど、勝つためだけに狭くなることは、もう敗北に近いのだと思えた。 舞台袖に並ぶと、客席のざわめきが布越しの波のように届いてくる。名前を呼ばれ、照明の中へ歩み出た瞬間、澪は中央の審査員席だけを見ないようにした。右端の暗がり、二階席の手すり、最後列の扉の近く。そこにも確かに耳がある。 最初の和音が鳴る。前方へまっすぐ伸びる芯の奥で、低音がゆっくり床を広げ、木管の旋律が左右へと細く光を渡していく。澪は自分の音を吹きながら、誰か一人の正解に合わせるのではなく、違う場所で違う景色が立ち上がることを信じた。ホルンが柔らかな影を差し込み、打楽器が空気の輪郭を結ぶ。曲が進むほど、会場のあちこちに見えない窓が開いていく気がした。 異端だと思われてもいい、と澪は思った。これはもう、説明のための音楽ではない。どこで聴いても同じではなく、それでもどこで聴いても残るものを目指してきた、青葉のいまそのものだった。
客席ごとの祝祭曲
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