エラベノベル堂

客席ごとの祝祭曲

全年齢

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7章 / 全10

通路の空気が、急に薄くなった気がした。未來が立ち止まり、悠もその視線の先を追う。星陵学院の部員のひとりが、審査を待つ手元で何かを隠すように抱えていた。白い封筒ではない。譜面を挟んだ、薄い資料の束だ。 「……あれ」 未來の声はかすれていた。資料の端には、課題曲の小節番号と、強調するべき入り方、審査で気をつけるべき箇所らしき走り書きが見えた。演奏の骨組みをなぞるような内容だった。 「見ました?」 誰かが息を呑む。 「見た、あれ絶対……」 「審査前に、あんなの持ってるの?」 ざわめきが一気に広がりかけたが、悠が手を上げるだけで、音はすっと細くなった。 「騒がないでください」 低い声だった。怒鳴りもしないのに、部員たちの肩が止まる。 「今ここで喧嘩をしても、相手の都合がよくなるだけです」 「でも、あれって」 「疑うのは後です。今は、見たものを音に変える」 未來が悔しそうに眉を寄せる。 「見なかったことにしろっていうの」 「違います」 悠はすぐに首を横に振った。 「見た事実は残る。だからこそ、そのまま感情で振り回されないでください」 彼は床に置いた自分の譜面を開いた。ぱらり、と紙の音がやけに大きい。 「白嶺の譜面を書き換えます」 「今さら?」 未來の声が跳ねた。周囲の数人も目を見開く。 「本番が近いのに変えるんですか」 「だから変えるんです」 「無茶だろ」 「今のままだと、相手の準備に対してこちらが遅い」 悠はペンを取り、迷いなく小節の上に印をつけた。 「客席ごとの聴こえ方を、もっとはっきり出します。受け渡しの位置、休符の長さ、入りの順番も少し直す」 「そんなの、一日で合わせられない」 「合わせます」 返事は即答だったが、だからこそ不安が募る。誰かが譜面を覗き込み、顔をしかめた。 「今まで積み上げたの、全部やり直しみたいじゃん」 「そう思うなら、なおさら中途半端は危険です」 悠の指先が止まる。線を引いた譜面の上で、光が白く跳ねた。 「今ここで怖がるのは当然です。でも、怖いまま黙ると音が縮む。縮んだ音は、相手に読まれます」 未來は唇を噛み、しばらく何も言わなかった。やがて、彼女は自分の譜面を受け取るように伸ばし、悠の書き込みを見つめる。 「……今さら変えるのか、って思った」 「はい」 「でも、変えないほうがもっと怖いかも」 その一言で、部員たちの呼吸が少しだけ動いた。 悠は顔を上げる。 「大丈夫です。変えるのは怖い。でも、怖いまま勝てる音にします」 そう言った瞬間、廊下の向こうで誰かの足音が近づき、空気がまた張りつめた。未來は資料の見えた方向を見つめたまま、譜面を強く抱え直す。白嶺の音は、いま確かに書き換わり始めていた。

7章 / 全10

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