火曜日の午後、関西支社との合同打ち合わせが急に入った。会議室の大型モニターに映る向こうのフロアは、こちらより少しだけ照明が暖かく見える。上司の説明が進み、新規プロジェクトの概要が共有されていく。私は議事メモを取りながら、画面の端に並ぶ参加者の名前をぼんやり追っていた。 そのとき、関西支社側の責任者が軽く笑って言った。 「引き継ぎは桐島くん中心で進めてもらいます。実は彼、向こうでの住まいももう決めてまして。準備が早くて助かりますよ」 一瞬、指が止まった。住まいももう決めている。その言葉は事務的な報告にすぎないのに、思ったより深く刺さった。異動は決まっている。準備が進んでいるのも当然だ。頭ではわかるのに、私の知らないところで彼の生活が先へ進んでいた事実だけが、遅れて胸に落ちてくる。 会議が終わると、私は必要以上に丁寧にファイルを閉じた。席に戻る途中、桐島が小さく 「大丈夫」 と声をかけてきたけれど、私は 「うん」 としか返せなかった。その一文字の薄さに、自分で少し腹が立つ。 夕方、野上に資料を渡しに行くと、彼女は私の顔を見てすぐ眉を上げた。 「なんかあった?」 「別に」 「その別にって顔、だいたい別にじゃないよ」 笑ってごまかそうとして失敗した。野上は追及しなかったけれど、そのやさしさが今は少し痛い。 終業後、桐島はいつものように声をかけてきた。 「少し話せる?」 先週ならうなずいていた。けれど私はバッグの持ち手を握ったまま、先に口を開いた。 「私、また勝手にわかった気になってたのかも」 桐島が黙る。 「ちゃんと話すって言ったのに、もう住む場所まで決めてること、今日初めて知った」 責めたいわけじゃないのに、語尾だけが硬くなる。 「私だけが、まだ途中にいるみたいで嫌だった」 桐島はすぐには言い返さなかった。廊下の窓の外では、夕方の雲が低く流れていた。 「言うつもりだった」 「それ、たぶん一番ずるい言い方だよ」 自分でも驚くほど静かな声だった。怒鳴るよりずっと冷えていて、だからこそ後に引けない。 桐島は小さく息をついた。 「向こうでの準備を先に進めたのは、本気で行くって自分に言い聞かせるためでもあった。橘と話したあと、中途半端な気持ちでいたくなかった」 「じゃあ、なおさら言ってほしかった」 「うん」 彼はまっすぐ私を見る。 「怖かった。橘が関西と関わるかもしれないって聞いて、少し期待したから。期待したまま、住む場所まで決めてる自分を見せるのが格好悪かった」 その本音は、きれいじゃなかった。でもきれいじゃないぶん、ようやく同じ床の上に立てた気がした。私はずっと、桐島だけが先へ進んでいると思っていた。けれど彼もまた、進むふりをしながら揺れていたのだ。 「私も」 と言うと、喉の奥が少し熱くなった。 「平気じゃないのに、平気な顔してた」 桐島がわずかに笑う。 「知ってる」 「知らないでしょ」 「今、少しわかった」 窓ガラスに映る私たちは、前より少し頼りなく見えた。けれどその頼りなさを隠さずに立っていることが、前より確かなことのようにも思えた。保っていた関係はもう揺らいでいる。隣の席の同期という安全な呼び名だけでは、収まらないところまで来てしまったのだと、私はようやく認めた。
すこし先まで同じ歩幅
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