図書館の郷土資料室は、古い紙の匂いが薄く積もっていて、入っただけで喉の奥が静かになった。浩平は背筋を伸ばしたまま、澪と並んで新聞の複写をめくっていたが、指先だけは落ち着かない。こんな場所まで来て、まだ卵焼きのことを考えている自分が、少し滑稽だった。 「この年代かな」 澪が細い索引を引き寄せる。浩平は隣から身を乗り出した。 「失踪した料理研究家、って本当にいたんだ」 「噂に骨があった、って感じだね」 古い記事の見出しには、完璧な卵焼きを追い求めた男、とあった。研究家は試作を重ね、理想の火加減と厚みを記録していたらしい。けれど、記事は途中で不自然に途切れている。まるでそこから先を誰かが嫌がったみたいだった。 浩平は紙面の写真に目をこらした。研究家が皿を掲げる、わずかに色あせた白黒写真。その皿の縁に、妙な影が落ちている。 「……これ」 澪も気づいて、声をひそめた。 「皿の端、変じゃない?」 影は人の指でも、光の乱れでもない。細長く、角のように歪んだ黄色が、写真の中にだけ押し込まれていた。今、浩平の頭の隅をよぎる、あの逃げる卵焼きと同じ輪郭だ。 「偶然じゃない」 浩平の言葉は、かすれていた。 澪が別の記事をめくるたび、似た写真が小さく現れる。整った料理の横に、必ず説明できない影が張りついている。記事には失踪の理由も、研究家の行方もはっきり書かれていない。それでも、写真だけは妙に饒舌だった。 「誰かが隠したんだろうな」 「隠したっていうより、写り込んだものを消せなかった、のかも」 浩平は息をのんだ。消せない。見ないふりをしても、残る。澪の言葉が、まるで皿の上の黄色と重なる。 資料室の窓の外では、夕方の光が少しずつ傾いていた。新聞の束を押さえる浩平の手に、じわりと冷たい汗がにじむ。 「じゃあ、あれはただ追いかけてきてるんじゃなくて」 「うん」 澪は写真から目を離さずに答えた。 「何かを知らせようとしてる」 浩平はもう一度、皿の縁に写った不自然な影を見た。そこにいるのは卵焼きだけじゃない。自分がずっと目を逸らしてきた何かが、静かに形を持って、こちらを見返していた。
卵焼き迫る、継ぎ味の夜
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