「相沢、帳簿を持ってこい」 午後の地下資料室は、昼の熱を忘れたみたいにひんやりしていた。壁一面の棚には、古い封筒や伝票の束がぎっしり詰まり、蛍光灯の白い光が紙の端だけを妙に青く浮かせている。悠人は両腕に抱えた帳簿を机へ置き、思わず息を吐いた。 「これ、まだ整理終わってなかったんですか」 「終わるわけがない。だが今日は勝負がつく」 幹部は妙に強気だった。だが悠人が帳簿をめくった瞬間、その自信は音もなくしぼんだ。 「……赤字、ですよね」 「赤字ではない。投資だ」 「でも、こっちの備品費まで削れてます」 ページの端には、会議用の紙コップ、懐中電灯の予備電池、作戦書の印刷代まで、ことごとく足りない数字が並んでいた。書き込みは増える一方で、残高は底を這っている。悠人は喉の奥が乾くのを感じた。 そのとき、隣の机に投げ出されていた別の資料が目に入った。黒鍵団の動向をまとめた、誰かの荒い調査メモだ。そこにも、似たような穴だらけの数字が並んでいる。 「こっちも……?」 「何だ」 「黒鍵団です。向こうの資金も、かなり苦しそうです」 一瞬、資料室が静まった。幹部の目がぎらりと光る。 「なるほど。相手も困窮しているなら、今が押し切りどきだ」 「え、そこですか」 「こちらが少しでも先に圧をかければ、向こうは崩れる。資金難ならなおさらだ」 悠人の口から、乾いた笑いが漏れかけた。 「でも、うちはうちで結構まずいですよ」 「だからこそだ。備えが足りない時ほど、先に動く者が勝つ」 そう言うと幹部は、机の上の付箋をぺらりとめくった。そこには、質に入れる候補と書かれた走り書きが並んでいる。 「これ、候補って……」 「使えるものは使う。不要な備品を眠らせておく余裕はない」 「不要って、あの会議用のスピーカーもですか」 「場所を取るだろう」 悠人は唇を引き結んだ。昨夜まで作戦のために威勢よく積み上げていたはずの備品が、今度は別の意味で積み上げられていく。棚の奥から引っ張り出された予備の椅子、箱に入ったままの掲示板、誰も使わなかった予備ののぼりまで、次々と紙の束の横に置かれていった。 「まさか、本当に質屋へ?」 「当然だ」 幹部は胸を張る。 「黒鍵団が苦しいなら、こちらが先に手を打つ。向こうが備品を手放す前に、我々が補充するだけだ」 「その理屈、だいぶ危なくないですか」 「勝負とは、危うさを飲み込んだ方が勝つものだ」 悠人は帳簿を閉じかけて、もう一度開いた。赤字の数字は、閉じても消えない。けれど幹部たちの目は、そこにある危機よりも、相手がもっと苦しいという想像の方に吸い寄せられていた。 「相沢、君は倉庫の札を確認しておけ。備品をまとめる」 「……わかりました」 返事をしたものの、悠人の胸の奥には、どうにも嫌な重さが残った。黒鍵団が苦しい。だから今こそ押し切れる。そう言い切る声は大きいのに、机の脇では誰かがそっと電卓を叩き、また別の誰かが会議室のポットを質に入れられないかと真顔で見ている。 棚の奥で、古いファイルがひとつ、床へ落ちた。ぱさりと乾いた音がして、誰も拾わないまま、資料室の静けさだけが少し深くなった。
黒マント同好会対白手袋クラブ
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