その翌朝、動物たちのあいだでは、昨日の観察会の続きが当然のように始まっていた。ライオンは岩の上で前足を揃え、昨夜の結論を復唱する。人間は見られていると安心する。ならば、見つめ返すのが礼儀だ。フラミンゴたちは水面をのぞき込み、そこに映る自分たちの姿を整えるように首を動かした。カメはゆっくり瞬きをして、礼儀という言葉の重さを噛みしめた。 開園してまもなく、昨日と同じ家族連れがやって来た。子どもはライオン舎の前で立ち止まり、父親の袖を引っ張る。あ、昨日の大きいのだ。そう言う声に、雄ライオンは胸を張った。すると子どもは目を輝かせ、父親に向かって同じ姿勢をまねてみせる。父親は苦笑しながらも、肩をすくめて応じた。そのやり取りを見て、フラミンゴたちは静かに足をそろえ、誰にも気づかれない角度で軽く頭を下げた。あれは挨拶だと、今朝の会議で決まっていた。 会議といっても、岩の上と水辺と石畳をまたいだ、いつものおしゃべりにすぎない。けれど今日は少しだけ様子が違った。カメが持ち出したのは、ひとつの新しい仮説だった。人間は動物を見ているのではない。動物を見ながら、自分たちのことも見ているのだ。ライオンはしばらく黙り、やがて低くうなった。それなら、昨日あの学生が書いていたのは私たちの記録ではなく、自分たちの気持ちの形かもしれない。 その言葉に、フラミンゴの一羽が水しぶきをあげた。そうだとしたら、私たちはずいぶん役に立っている。きっと人間は、私たちを見て笑うことで、少しだけ優しくなれるのだ。カメは首を伸ばし、ならばこちらも人間を見て、少しだけ優しくなるのだろうと答えた。誰も反対しなかった。反対するには、朝の陽ざしがあまりにやわらかかった。 昼前になると、園内はいつもよりにぎやかだった。ベンチに座る老夫婦は、ひとつのベビーカステラを半分こしながら、フラミンゴの歩き方を真似して笑っている。学生たちはノートを開いたまま、ライオンのあくびの回数まで数えていた。飼育員はそれを見て、今日はやけに賑わっていますねと首をかしげる。だが、その向こうで動物たちが交わす視線の熱までは、さすがに気づかない。 やがて正午の光が強くなると、ライオンは影の中へ下がり、フラミンゴたちは羽を寄せ、カメは甲羅のぬくもりを大切そうに抱えた。人間たちは木陰へ移動し、飲み物を手に一息つく。そこでまた、互いを見つめる小さな輪ができる。動物を見る人間。その人間を見る動物。その両方を見て微笑む別の人間。輪は重なり、ほどけ、また結ばれた。 午後の終わり、あの学生が再びメモ帳を閉じ、今度は記録ではなく感想を書きつけていた。動物園は、違う姿のまま一緒にいられる場所かもしれない。そう読み上げた声は小さかったが、ライオンの耳にははっきり届いた。雄はゆっくりと立ち上がり、太い尾をひと振りする。それを見た子どもが笑い、母親がその笑顔を見て笑い、向こうの席の飼育員までつられて笑った。 その瞬間、ライオンはようやく本当の結論を知った。人間を研究していたつもりが、研究されていたのは自分たちだったのだ。けれど、それは負けでも恥でもない。見られてうれしい、見返してうれしい。そんな単純な気持ちが、柵の内と外をそっとつないでいた。 閉園の放送が流れ、空は夕焼けに染まった。人間たちは名残惜しそうに出口へ向かい、動物たちは静かにその背を見送る。最後に振り返った学生が、カメに向かって小さく手を振った。カメもまた、ほんの少しだけ首を揺らした。誰にも言葉はいらない。ただ見つめ、見つめ返し、同じ夕焼けを持ち帰る。それだけで、明日もまた会える気がした。
動物園の観察会
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