体育館の熱気が、まだ廊下の隅に残っているようだった。莉帆は資料を抱えたまま歩き、ふと足を止める。職員室の前を通りすぎた瞬間、いつもより空気が重い。扉の向こうで、誰かが急いで机を引く音がした。 その違和感は、次の瞬間にははっきり形になった。 「白石さん、来てくれ」 呼び出したのは森だった。だが、室内に入った莉帆は、森だけを見ていたわけではない。黒田は腕組みのまま画面を見下ろし、橘は椅子の背をつかんでいた。机の上のノートパソコンには、教育委員会からの接続待機画面が開かれている。 「教育委員会から連絡が来たの」 莉帆が問うと、森は苦笑した。 「それも、なかなか急でね。統合監査を行うそうだ」 「統合監査?」 「つまり、三人の任命経緯を正式に確認するんだろう」 黒田が硬い声で言う。 「ようやく筋を通すつもりか」 橘は鼻を鳴らした。 「遅すぎるけどな」 莉帆は画面を見つめた。教育委員会の名札が並び、無機質な顔がいくつも映っている。胸の奥が、いやにざわつく。 『桜丘女子高校の件について、本日十時よりオンライン監査を実施します』 淡々とした声が響き、職員室の温度が一段下がった気がした。 「任命経緯の記録も確認します」 その言葉に、莉帆は思わず黒田を見た。だが、黒田が答える前に、画面の共有資料が切り替わる。ところが、そこにあるはずの記録は途中で途切れていた。 「……え」 森が身を乗り出す。 「これは、消えているのか」 表紙だけが残り、肝心の頁が抜け落ちている。黒田の眉間に皺が寄る。 「ふざけるな。書類不備か」 橘が画面を指差した。 「いや、不備っていうレベルじゃないだろ。途中から空白だ」 莉帆は息を呑んだ。嫌な予感が、喉の奥に冷たく絡みつく。書類が足りないというより、最初から辿らせる気のない消え方だった。 「待ってください」 莉帆は思わず言った。 「この学校に三人の校長が来た理由って、ちゃんと説明されるはずだったんですよね」 誰も即答しない。沈黙が、答えより先に落ちた。 「今は監査に備える」 黒田が短く言う。 「校内の混乱は、こちらで抑えるしかない」 森が頷き、橘が舌打ちする。 「抑えるって言っても、もう全員知ってるだろ」 その通りだった。廊下の向こうでは、足音が妙に速い。視線も、さっきまでの面白がりよりずっと硬い。生徒も教師も、説明できない何かを前に息を潜めていた。 莉帆は画面を見たまま、指先をぎゅっと握る。 「これ、ただの確認じゃない気がします」 森が静かにうなずく。 「私もそう思う」 黒田は画面の奥を睨み、橘は腕を組み直した。 「だったら、来るものは来いってことだ」 監査の開始時刻が、無慈悲に近づいている。校内の緊張は、見えない糸で張りつめたまま、今にも弾けそうだった。
三校長と女子高の日々
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