三日目の朝、美咲は港町の市場に立っていた。潮の匂いと魚の声が入り混じり、昨日までの静かな町とはまた違う顔を見せている。観光案内所で勧められた朝市は、ただ品物が並ぶ場所ではなく、人の呼び声や笑い声が行き交う、生きた広場のようだった。 干物の並ぶ店先で、白い割烹着の女性が美咲を見つけるなり手招きした。 「あんだ、昨日の娘っこだべ。ちょっと見てけろ」 美咲が近づくと、女性は小さな木箱を指さした。中には古びた地図が丁寧に畳まれている。美咲が目を丸くすると、女性は得意そうに笑った。 「ほれ、これさ。町内会で回してた昔の絵地図だ。探してる人が来たら見せるべって、みんな言ってたんだ」 「探してる人、ですか」 その言葉に、周囲の何人かが同時にうなずいた。どうやら美咲は、昨日の騒ぎのあと、町の古い場所を案内できる妙な旅人として、すっかり認識されてしまったらしい。本人はただ、海辺で写真を撮り、熱い味噌汁を飲み、ついでに方言のメモを増やしたいだけだったのに、町の人たちは彼女を半ば案内役のように扱っている。 そこへ、観光案内所の男性が息を切らしてやってきた。手には、昨日見せてくれたあのかすれた紙片がある。 「見つかったぞ。いや、見つけたのはこの娘さんかもしれねえ」 紙片と古地図を重ねると、倉と浜をつないでいた昔の小道がぴたりとつながった。近年は埋もれてしまったが、道の途中にある石碑の位置も書き込まれている。だが、誰もがそこへ向かおうとした瞬間、広場の奥から年配の男が声を上げた。 「待て待て。あそこは今、漁具の倉を直してる最中だ」 またひと騒ぎになりかけたが、美咲は慌てて両手を振った。 「違うんです。私は道を探してたんじゃなくて、言葉の意味を探してただけで」 すると、女性が肩を揺らして笑った。 「それだっちゃ。ここの人間は、探してるって聞くと、何でも大ごとにしたがるんだ」 町の人たちは一斉に笑い出した。誰かが 「さっきのてんやわんやも、結局は地図のせいだったな」 と言い、別の誰かが 「いや、半分はこの娘っこの顔だべ」 と茶化す。美咲は真っ赤になりながらも、笑いをこらえきれなかった。 昼過ぎ、案内所の男性が改めて、昨日の言葉をゆっくり教えてくれた。てんやわんやは大騒ぎのこと、けろは気楽に行けという響き、そして、あんだは親しみをこめた呼びかけ。意味がわかると、何気ない一言まで少しあたたかく聞こえる。 夕暮れ、港の見える坂道で、美咲は町の人たちに手を振った。古地図は案内所に飾られることになり、石碑の道も近いうちに整え直されるという。別れ際、女性が小さな包みを渡してくれた。中には、干したりんごと、方言を書いた紙が入っている。 「旅の土産だ。今度はもう、取り違えんなよ」 「はい。でも、間違えたから覚えられた言葉もあります」 電車の窓に映る自分の顔は、出発した日より少しだけ柔らかく見えた。言葉は違っても、笑い合えばちゃんと通じる。むしろ、わからなかったからこそ、人の温度に触れられたのかもしれない。美咲はノートを閉じ、次の町の名を指でなぞった。勘違いさえ、旅の終わりにはきっと、忘れたくない思い出になる。
方言まちがい旅日記
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