「それ、あずけておいて」 耳に入った瞬間、美里は手にしていた小さな袋を見つめた。預ける、ではなく、どこかへ回すのかもしれない。さっきまでの船乗り場とは違う、観光客の声と土産物の呼び込みが重なる通りで、言葉の輪郭はまた少しだけ曖昧だった。 「えっと、これを……ここでですか」 「そうそう、そっちに置いといてくれればいいから」 店先の台には、箱や紙袋がいくつも並んでいる。美里は深くうなずき、頼まれた荷物のそばに立った。意味ははっきりわからないが、どうやらここを見ていればよさそうだ。彼女は真剣な顔で、通り過ぎる人の手元と足元を交互に確認した。 その直後、近くの店で 「すみません、こっちの紙袋、見ませんでした?」 という声が上がる。別の店からも 「あれ、同じ柄の箱がない」 と焦った声が飛んだ。美里の背筋がぴんと伸びる。 「もしかして、置き方が似てるんですか」 「そうなんだよ、ちょっと油断すると混ざっちまう」 「じゃあ、私、見ます!」 勢いよく返事をすると、周囲の店主たちが目を丸くした。 「頼もしいねえ」 「いや、そういう係じゃないんだけど……」 美里は小声でつぶやきながらも、荷物の札をひとつずつ見比べた。箱の柄、紐の色、渡された順番。覚えるより先に、頭と手が動く。あちらの店には青い紐、こちらには赤い袋。違いを見つけるたび、彼女は次々と人を呼んだ。 「これ、そちらのです!」 「こっちはここの箱ですよね!」 「待って、今のは向こうに戻してください!」 人が集まり、声が重なり、通りの空気が少しずつ騒がしくなる。けれど、美里はひるまなかった。むしろ、誰かが混乱したまま動くほうが怖かった。だからこそ、ひとつひとつ確かめる。 「すみませーん、これも確認お願いします!」 「おう、助かる!」 「こっちの袋、間違えて持ってく人がいるかもしれないから、もう一回見とこう」 店主たちがわらわらと寄ってきて、彼女の周りに小さな輪ができる。美里はその中心で、荷物の取り違えを防ぐために声を張った。真面目すぎるくらい真面目に動いたせいで、誰かが勝手に先へ進む隙がない。 やがて、最初に騒いでいた店主が大きく息を吐いた。 「ふう、助かった。あんたが見てくれてなかったら、間違いなくごっちゃになってたよ」 「私は、ただ……言われたことをしていただけです」 「そのだけが大事なんだって。ありがとね」 騒ぎはいつの間にか静まり、通りにはまた観光客の足音が戻った。美里はようやく肩の力を抜く。すると、さっきまでせわしなく動いていた店主たちが、今度は何か相談するみたいに顔を見合わせた。 「これ、持っていきな」 差し出されたのは、手のひらに収まる小さな地図だった。折りたたまれた紙の上に、細い線で通りや店の位置が描かれている。 「地元の人向けの簡単なやつだけど、役に立つと思うよ」 「え、いいんですか」 「もちろん。さっきの礼だ」 美里は両手で受け取り、慎重に開いた。さっきまで荷物の間で張っていた緊張が、そのまま紙の端に吸い取られていくみたいだった。 「ありがとうございます。今度は、ちゃんと見ながら歩きます」 「はは、それがいい」 店先の風が、地図の隅をやわらかく揺らした。美里はそれを押さえながら、もう一度だけ通りを見渡す。自分の言葉は少しずれていたかもしれない。それでも、ずれたままでも役に立つことがあるのだと、今日は確かに知った。
方言まちがい旅日記
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