「あやしい人を見た、って……どっちですか」 美里は息を整えながら、会場裏の通路を見回した。さっきまで灯りの届いていた場所が遠くなり、ここだけ少し薄暗い。けれど、誰かの慌ただしい声が近くで重なっていて、空気までざわついている。 「こっちだよ。さっき、裏手をうろついてたらしい」 案内役を名乗った係の人は、短くそう言って歩き出した。美里は反射でついていく。 「えっと、不審者、ですよね」 「まあ、そういう言い方になるかな」 「見つけないと……!」 真面目に言ったつもりだったのに、係の人は少し肩を揺らした。 「落ち着いて。見たっていう証言も、聞き方でだいぶ違うから」 暗がりに目を凝らしながら、美里は手元のメモを開く。そこには、商店街で受け取った地図の端に、さっき聞いた断片が書き足されていた。帽子、紙の束、道に迷ったようだった、など、ばらばらの言葉ばかりだ。 「帽子をかぶってて、紙を持ってて、迷ってた……ですか」 「そうそう。あのへんの導線がややこしいからね」 「導線?」 「裏方の通路。演出の人が使う場所」 美里は首をかしげた。観光イベントの人たちが、客の流れとは別に動いているらしい。さっきまでの大騒ぎが、少しだけ輪郭を変える。 通路の先で、別の係がひそひそ声で言った。 「さっきの人、案内札の位置を見てたって」 「いや、地図を持って右往左往してただけじゃないの」 その断片を聞いた瞬間、美里の中で何かがつながった。 「待ってください。もしかして、その人って怪しいんじゃなくて、演出の担当の人じゃないですか」 係の人が立ち止まる。 「担当?」 「はい。紙の束って、たぶん案内の確認で……迷ってたのも、この通路がわかりにくいからで……」 自分でも半信半疑だったが、メモと証言を合わせるほど、話は別の形に見えてくる。誰かが見た不審な影は、暗がりと行き違いと、案内の不足が重なって大きく見えただけなのかもしれない。 「なるほどね。つまり、あやしい人じゃなくて、迷っただけか」 「たぶん、です。たぶん!」 「たぶんでも十分だよ」 係の人はすぐに別の場所へ声を飛ばした。美里はその横で、メモの端をぎゅっと押さえる。胸の奥はまだ少し速い。でも、怖さの正体が少しずつほどけていく感覚もあった。 「じゃあ、もう少し一緒に見てくれる?」 「はい」 即答した自分に、美里は内心で小さくうめいた。結局また、案内係みたいな役目になっている。けれど今度は、ただ言われた通りに動くだけじゃない。断片をつなぎ合わせて、何が起きているのか確かめる側だ。 暗がりの向こうで、誰かの足音がふっと止まった。美里はメモを握り直し、係の人と並んでその方向を見つめた。騒ぎの原因は、まだ完全にはほどけていない。けれど少なくとも、怪しい人探しが思ったようなものではないことだけは、はっきり見え始めていた。
方言まちがい旅日記
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