「止めて!」 その短い声が飛んだ瞬間、美里は心臓を跳ね上げた。止める。何を。誰を。頭の中で意味だけが先走り、足はもう閉まりかけの扉へ向かっていた。 「え、あ、ちょっと待ってください!」 思わず両手を広げる。けれど扉の向こうから飛び出してきたのは、人ではなく、転がるように滑ってきた備品の箱だった。 「うわっ」 美里は反射で箱の脇にしゃがみ込み、両手で受け止める。段ボールの角が床をこすり、乾いた音が通路に弾けた。箱は想像より重く、肩までじんとしたが、どうにか勢いは殺せた。 「そこ、押さえて!」 近くにいた係の人が駆け寄る。美里は言われた通り、箱をしっかり抱えたまま踏ん張った。扉の隙間から冷たい空気が一筋流れ込み、バタバタしていた通路が少し静かになる。 「危なかった。あと少しで散ってたよ」 「散る……?」 「中身がね。細かい飾りが入ってたんだ」 美里は箱の上に視線を落とした。確かに、蓋の隙間から紙片の端がのぞいている。もし床に広がっていたら、また大変なことになっていただろう。 「すみません、私、声だけで飛びついちゃって」 「いや、逆に助かった。止めてくれて正解だ」 その言葉に、美里はびくりとした。 「止めたの、私ですか」 「そう。閉まりかけの扉の前で、よく受け止めてくれた」 違う、そうじゃない。止めて、は箱のことだったのに。けれど、今さら説明しようとすると余計にややこしくなる気がして、美里は口をぱくぱくさせるしかなかった。 「いや、本当に、聞き違えただけで……」 「でも結果、流れは止まった。大したもんだよ」 別の係員まで頷いてくる。背後では、転がり出た箱が壁際へ運ばれ、誰かが中身の確認を始めている。さっきまでの慌ただしさが、ひとつの継ぎ目を越えて落ち着いていくのが見えた。 「“事件を収めた学生”って、あの子のことか」 「聞いてないのに、よくやるねえ」 「若いのに頼もしいな」 言葉が次々に飛んでくるたび、美里は目を泳がせた。頼もしい、のだろうか。実際は、ただ止めて、の先を勝手に補ってしまっただけだ。 「本当に違うんです。私、ただ、扉の前で大慌てして……」 「それでも止まった。十分だ」 係員のひとりが笑いながらそう言うと、周囲もつられて和らぐ。美里は箱の角を見つめたまま、胸の内で叫んだ。 聞き違えただけです。ほんとに、そこだけなんです。 けれど誰も、その声を聞く様子はなかった。
方言まちがい旅日記
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