「でしょ」 店長は満足そうに笑ったが、真央はまだ口の中の余韻から抜け出せずにいた。果物にしか向けたことのなかった舌が、知らない角度で驚かされている。あまりにも気になって、彼女は思わず周囲を見回した。 スタッフは別の仕込みに追われていて、こちらを気にする様子はない。真央はこっそりエプロンの端を結び直すと、作業台の隅に積まれた小さなボウルを引き寄せた。 「……ちょっとだけ、試してもいいですよね」 誰に言うでもなくつぶやいて、彼女は野菜の箱からにんじんを一本取り出した。まっすぐで、肌のきれいなその姿は、飾り気がないぶん妙に潔い。真央は皮を薄く削ぎ、細かく刻みながら目を細める。 「ムースにしたら、ふわっとするかも」 独り言が止まらない。普段なら果物の酸味や香りを先に計算するのに、今日は甘みの奥にある土の気配や、火を入れたあとの丸みまで思い浮かんでしまう。 小さな試作台は、いつもは飾り用の器を置く場所だった。そこに真央は急ごしらえの道具を並べ、卵白を泡立て、淡い橙色の液体を静かに混ぜる。音は小さいのに、胸の高鳴りだけがやけに大きい。 「真央、何か作ってるのか」 背後から店長の声がして、彼女は肩を跳ねさせた。 「見ないでください。まだ実験中です」 「へえ。珍しいな、実験なんて」 「珍しくないです。たぶん」 言いながらも、真央の手つきは止まらない。冷やしておいた器に流し込むと、にんじんのムースは意外なほど上品な色に収まった。そこへ今度は、別の野菜を使った透明なゼリーを薄く重ねる。ひんやりした揺れが表面に光を返し、見た目だけならとてもデザートとは思えない。 だが、真央はスプーンを入れた瞬間、息をのんだ。 「……なにこれ」 口当たりは軽いのに、後からじわりと甘さが追いかけてくる。にんじんの素朴さと、ゼリーの澄んだ香りが重なって、妙にきれいにまとまっていた。派手ではない。けれど、きちんと考え抜かれた服を着たみたいに上品だった。 真央はもうひと口食べ、まぶたを伏せる。 「おいしい……」 その声は、ほとんど感動に近かった。本人だけが真剣で、本人だけが息を詰めている。店長はそんな様子を見て、苦笑しながら腕を組んだ。 「そこまで夢中になるとはな」 「夢中じゃないです。ただ、想像以上で」 真央は言い訳しかけて、やめた。今の味を前にすると、言葉のほうが追いつかない。彼女はそっとスプーンを置き、まだ冷たさの残る器を見つめる。 厨房の空気は変わらないのに、自分の中だけが少し騒がしい。果物の美しさを守ることしか知らなかったはずなのに、そこへ別の色が差し込んでくる。 「……もう少しだけ、試してもいいですか」 店長は、今度はからかうような笑みを浮かべなかった。 「ああ。好きなだけやれ」 真央はうなずき、次の野菜を手に取った。
果実と野菜のパティスリー
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