朝の鐘が鳴るより早く、俺は街へ下りていた。昨夜の合図めいた音が、まだ耳の底に残っていたからだ。ルークは当然のように同行を申し出たが、今日は彼の歩調が妙に慎重だった。石畳を踏むたび、何かを隠している者の重さが足元に出る。そんな気がした。 最初に向かったのは東区の給水塔だった。広場の噴水は止まり、住人たちは空の桶を抱えて列を作っている。担当の水守は顔を青くしていたが、塔の内部を見ればすぐに理由がわかった。水を送る管に、細かな結晶がこびりつき、流れを鈍らせていたのだ。古い金属が水と反応して固まったものらしい。手入れを怠れば、じわじわと全体が窒息する。まるでこの街そのものみたいだった。 俺は分解できる部品を指示し、管を温水で洗わせ、流れの角度を少し変えさせた。ついでに塔の上部へ風を通す窓を設ける。作業は半日で終わり、広場には再び細い水音が戻った。人々の表情がほどける。何度見ても、この瞬間だけは悪くない。 だが、塔の内部で妙な紋様を見つけたとき、安心はすぐに薄れた。石の壁に刻まれた円環。その形は、封印庫の石箱にあった紋章と同じだった。俺が指先でなぞると、冷えた石の奥で、かすかな脈動が返ってくる。生きている。いや、眠っている何かが、そこに繋がっている。 「これ、いつからありました」 水守は首を振った。昔からだという。誰も気にしなかった。気にした者は、そんなものは古い装飾だと笑われた。 笑い飛ばせないのは俺だけらしい。街のあちこちに、同じ紋があるかもしれない。そう思った瞬間、ルークがわずかに視線を逸らしたのを見逃さなかった。 「知っているな」 「……完全には」 彼は苦しそうに唇を噛み、やがて小さな紙片を差し出した。学匠院の封印庫へ入るための古い鍵札だった。そこに書かれていた名を見て、俺は息を呑む。前夜の巻物に記された署名と同じ、忘れられた大賢者の名。しかも、その横にもう一つ、見覚えのない文字列があった。俺の今の名前だ。 「どういうことだ」 「上の人たちは、あなたが戻ると最初から知っていたんです。目覚めた大賢者ではなく、戻される賢者だと」 背筋に冷たいものが走った。転生ではない。回収。あるいは再配置。そんな言葉が頭をよぎる。俺はただ選ばれたのではない。この街の装置を動かすための部品として、あらかじめ用意されていたのかもしれない。 そのとき、塔の最上部から低い振動が走った。広場の井戸も、窓辺の鉢も、一斉にかすかに震える。街の地下で、長い眠りがひとつ呼吸をしたのだ。人々は気づかない。だが俺にはわかる。これは始まりではなく、起こしてはならなかった何かの目覚めだ。 ルークが青ざめた顔で叫んだ。 「大賢者様、離れてください。今の鍵札は、封印を解くためのものです」 遅かった。俺の手の中で鍵札が熱を持ち、塔の紋章に吸い寄せられるように震えた。次の瞬間、石壁の奥から、深い扉が開く音がした。 街を支える仕組みだと思っていたものは、どうやら牢だったらしい。 しかも、その扉の向こうで待っていたのは、俺を呼ぶ声とよく似た、自分自身の声だった。
大賢者の再起
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