エラベノベル堂

大賢者の再起

全年齢

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5章 / 全10

書庫を出たころには、街はすっかり夕暮れの色に沈みかけていた。石畳に伸びる長い影を踏みながら、俺は外気のざわつきに眉を寄せる。風の流れが、さっきまでとは違う。どこかで魔力が乱れた時の、あの嫌なざらつきが混じっていた。 「……来るか」 呟いた直後、街門の方から悲鳴が上がった。人の波が弾けるように揺れ、荷車を引いていた男が後ずさる。門の脇、街灯の影から、黒い小さな影がいくつも跳ね出していた。獣とも虫ともつかない、手のひらほどの魔物だ。 「な、なんだあれ!」 「誰か、武器を!」 市場通りが一気に騒がしくなる。売り子の女が布を抱えて逃げ、子どもが泣き声を上げた。俺は一歩だけ遅れて駆け出し、倒れかけた木箱の陰に身を滑らせる。正体を悟られるわけにはいかない。だが、このまま放っておけば被害は広がる。 最初の一匹が飛びかかってきた瞬間、俺は足元の石ころを弾いた。小さな衝撃で軌道がずれ、魔物は空振りする。次に、路肩の水桶から薄い水膜を引き上げ、光を散らして視界を乱した。 「うわっ、何だ今の!」 誰かが叫ぶ。いい、見えすぎない方がいい。俺は掌の内側で短く術式を組み、目立たぬ程度の圧で空気を締めた。魔物たちは一瞬ふらつき、その隙に門番たちの槍が届く。さらに俺は、通りの端に残っていた結界石の割れ目へ、魔力の流れをねじ込んだ。乱れた気配が少しだけ整い、飛び出していた影が次々に消えていく。 「おい、あの子だ」 誰かの声が聞こえた。顔を上げると、通りの向こうで門番と商人たちの視線が一斉にこちらへ向いていた。驚きと、まだ名づけられない警戒と、はっきりした感謝が混ざっている。 「今の、あいつが?」 「ただの子どもじゃないぞ」 まずい。俺は視線を逸らし、何事もなかったように木箱の陰から出る。 「通り道を塞ぐな。まだ残ってる」 低く言い捨てると、門番の一人がはっとして頷いた。俺はそれ以上は踏み込まず、魔物が湧いていた影の溜まりを見やる。結界の乱れは完全には止まっていない。だが、ひとまず街の空気は落ち着き始めていた。 やがて騒ぎが収まり、誰かが安堵の息を漏らした。その瞬間、さっきまで避けられていたはずの視線が、今度は静かに俺へ集まる。市場の主たちは口々に礼を言い、門番は硬い顔のまま俺を見た。 「助かった。お前、どこの家の子だ」 すぐに答えられず、俺は一拍置いた。名乗りすぎれば面倒になる。だが、完全に知らぬふりをする空気でもない。 「……近くにいただけだ」 曖昧に返すと、男は納得しきれない顔のまま黙った。けれど、もう以前のように、ただの通りすがりとして扱われることはないだろう。市場の奥で誰かが 「さっきの少年」 と囁き、別の声がそれに続く。小さなさざめきは、夕暮れの通りに長く残った。 俺はそれを背中で聞きながら、ゆっくり息を吐いた。面倒は増えた。だが、完全に隠れたままでいられる時間は、どうやらもう終わりらしい。

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