エラベノベル堂

大賢者の再起

全年齢

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9章 / 全10

空が唸り、石畳が震えた。 広場の中央にある噴水が一度だけ高く跳ね、次の瞬間には黒い影が裂けるように立ち上がった。風ではない。空気そのものが剥がれ落ちたみたいに、冷たい闇が形を持っていく。 「来たか……!」 俺は思わず歯を食いしばった。奏多が隣で息を呑み、周囲の人々が一斉に後ずさる。議事堂での半信半疑な顔が頭をよぎる。説明している暇はなかった。何より、目の前の災厄は、言葉で止まるような代物じゃない。 黒い災厄は、広場の灯りを吸うように巨大な輪郭を広げた。まるで古い封を噛み砕いて這い出てきた獣だ。俺の頭の中に、前世で見た封印構造の断片が走る。どこを押さえれば崩れが広がるか、どの流れを逸らせば被害を減らせるか。知識はある。だが、それだけだ。 「奏多、後ろへ! 人を散らせ!」 「分かった!」 奏多が声を張り上げ、広場の端へ走る。俺はその背中を見送る暇もなく、地面に刻まれた魔力の流れへ意識を沈めた。崩れた封の癖、暴走する力の通り道、避けるべき中心。わかる。わかるのに、足りない。 災厄が腕のようなものを振るうと、広場の一角が砕けた。悲鳴が上がる。俺は反射的に術式を組み、瓦礫の軌道をわずかにずらした。数人分の命は救えた。だが、次の瞬間には別の崩落が起きる。 「くそっ、間に合わない……!」 知識だけでは足りない。理屈だけでは、こいつの暴力を全部は受け止められない。胸の奥で何かが軋み、封じていた熱が目を覚ます。 守護精霊の声が、遠くで響いた気がした。 継げ。 俺は一度だけ目を閉じた。静かに暮らしたかった。目立ちたくなかった。関わりたくなかった。そんな願いは、もう広場の悲鳴にかき消されていた。 「……仕方ないだろ」 呟いた声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。 次の瞬間、俺の中の扉が開く。流れ込むのは、前世で積み上げた理の全てだった。膨大な魔力が指先から広がり、空気の輪郭が変わる。地に伏せた文様が淡く輝き、崩れかけた結界の残骸が一本の糸のように繋がっていく。 「……まだ、いける」 俺は災厄の中心を見据え、低く息を吐いた。知識では届かなかった場所へ、今度は力が届く。広場を覆う闇を押し返し、逸らし、削り、最小限の破壊に留めるためだけに、全てを注ぐ。 石壁が鳴り、雨が降り出した。けれど、もう広場はただ崩れるだけではない。俺の力に押され、古い災厄は少しずつ形を失っていく。 「見てろ。これが、大賢者だ」 誰に向けた言葉でもなかった。だが、闇の向こうで息を呑む気配が確かにあった。 被害は、まだ完全には止まっていない。だが、少なくともこれ以上は広がらせない。俺は強く歯を食いしばり、嵐の夜の広場で、ついにその名にふさわしい力を解き放った。

9章 / 全10

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