「おい、そこじゃない。もう少し右だ」 「はい、こうですか」 午後の光が障子の隙間から斜めに差し込み、村長の家の作業場は木の粉っぽい匂いで満ちていた。手渡された壊れた鍬の柄を、俺は慎重に押さえる。ひび割れた部分を削って、継ぎ目を合わせ、麻紐で締める。派手さはないが、こういう仕事は嫌いじゃない。 「器用だな、村人Aのくせに」 「村人Aだから、ですかね」 「はは、変なやつだ」 笑われても、肩は重くならなかった。手を動かしていると、余計な考えが少しだけ静かになる。 修理を終え、道具を並べ直したときだった。作業場の奥に積まれた古い箱が、ふと目についた。釘も錆びた帳面が、布の下から半分だけ覗いている。 「それ、触ってもいいんですか」 「奥のやつか。埃だらけだ、勝手に開けるなよ」 止められたのに、視線はもう離れなかった。継ぎ目を直しに行くふりで箱のそばへ寄る。布の端を少しだけ持ち上げると、そこには分厚い古い帳簿と、折り目の深い地図が重ねてしまわれていた。 息が詰まった。 地図の上には、村の道筋とは違う細い線が引かれている。しかも、その一部に、やけに小さな記号が添えられていた。人が通るには狭すぎるような、だが確かに通路を示す印。 「……これ」 声が漏れた瞬間、背中が冷えた。 帳簿の頁をめくる。日にちが並び、そのいくつかは不自然に薄い。内容が飛んでいるわけではない。ただ、記録されるはずの何かが、最初から空けてあるみたいだった。 俺は地図と帳簿を交互に見比べた。 村の広場でも、畑でも、井戸でも見たことのない線。けれど、初めて見るはずなのに、なぜか胸がざわつく。ここは知っている。いや、知っているべき場所だ。 「おい、まだ終わらないのか」 背後から声が飛び、俺は慌てて布を戻した。 「すみません、すぐに」 返事をしながらも、指先の感覚だけが妙に熱かった。 ただの村人の手伝いのはずだった。壊れた道具を直して、礼を言われて、それで終わるはずだったのに。作業場の奥に隠された帳簿と地図は、俺に向けて静かに口を開けているようだった。 村人Aしか入れないような道が、本当にあるのか。 それとも、最初から俺だけがそこへ気づくように置かれていたのか。 答えはまだ見えない。それでも、木屑の舞う薄明かりの中で、俺ははっきりと感じていた。自分は、この村の背景にいるだけの存在じゃない。何かを知るために、ここへ立たされているのだと。
村人として生き直す
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