エラベノベル堂

村人として生き直す

全年齢

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8章 / 全10

集会所の扉を押し開けた瞬間、冷えた夜気の名残が頬をかすめた。まだ空は薄暗いままだったが、卓の上に置かれた灯りが、村人たちの輪郭だけをやわらかく浮かび上がらせている。 「こんな早くから、どうしたの」 「ちょっと、話したいことがあって」 俺がそう言うと、荷をほどいていた女が首をかしげた。 「また壊れた道具かい?」 「いや、そうじゃなくて……」 喉まで来ていた言葉が、村人たちの穏やかな視線で少しだけ詰まる。空白の帳面、井戸に映った通路、封印の門の仕組み。全部つながっている。俺はそれを伝えに来たのに、目の前の誰もが、ただの世話好きな若者を見るみたいな顔をしていた。 「村の外れで、何か変なことが起きてる。たぶん、みんなが思ってるよりずっと前から」 「そうかい。で、何を手伝えばいい?」 あっさり返された言葉に、俺は目を瞬いた。 「信じる、信じないの話じゃなくて……」 「なら、まずは椅子に座んな。息が整ってないよ」 「お茶、入れようか」 「門の方へ行くなら、靴ひもも結び直しときな」 次々に飛んでくる何気ない声に、俺は拍子抜けした。真実を打ち明けようとしているのに、核心だけがふわりと受け流されていく。だが、その代わりに、誰かが水を汲みに行き、誰かが灯りを一つ増やし、誰かが戸口を見張り始める。俺が何も命じていないのに、集会所の空気が静かに動いていく。 「……え?」 「何だい、その顔は」 年寄りの男が笑った。 「お前さんが困ってるってだけで、十分だろう」 胸の奥が、じわりと熱くなった。俺はずっと、目立たないことばかりを気にしていた。村人Aなんて名前は、背景の札みたいなものだと思っていた。けれど違う。目の前の誰かを直接動かさなくても、気づけば輪ができている。必要な手が、必要な場所に集まっている。 「俺、そんなに頼りにされてたのか」 「頼りにしてるんじゃないよ」 最初に声をかけた女が、肩をすくめる。 「最初から、動いたら困る人間だと思ってるだけ」 からかわれたのかと思ったが、続く笑いはやけに優しかった。俺は思わず苦笑する。 「それ、褒めてます?」 「もちろん」 集会所の隅で、誰かが縄をまとめている。戸口では若い男が外をうかがい、奥では子どもが毛布を運んでいた。ひとつひとつは小さいのに、全部が俺の言葉の先回りみたいに揃っていく。 そうか。俺は目立たなくても、人を動かせる。 いや、正確には、村の方がもう動いてくれている。俺が立っているだけで、誰かが次の一手を選ぶ。 「……なら、言い方を変える」 俺は灯りの下で息を吸い直した。 「村の外れの封印、まだ危ない。たぶん、今夜が山だ」 その一言で、集会所の静けさが変わった。誰も大声を上げない。ただ、さっきより深く頷く。その沈黙の重みが、俺の背中を押した。 目立たなくてもいい。主役みたいに振る舞えなくてもいい。 それでも、この村では、俺の一言が確かに届く。 灯りの揺れを見つめながら、俺はもう一度だけ集まった顔ぶれを見渡した。真実はまだ、きれいには伝わっていない。けれど、手はすでに動き出している。ならば十分だ。 「行こう」 誰かがそう言って、皆が一斉に立ち上がった。

8章 / 全10

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