エラベノベル堂

村人として生き直す

全年齢

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9章 / 全10

「……来るな、じゃなくて、来たか」 丘の斜面を駆け上がる足元で、草が湿った音を立てた。背後では村の灯りがまだ揺れているのに、ここだけ空気が妙に薄い。俺は息を切らせたまま、目の前の封印へ視線を走らせた。門ではない。村の境界にある、結界の根元だ。地面に埋め込まれた石、絡みつく紋様、そして脈打つような光。全部が、今にもほどけそうになっている。 「間に合わないかと思ったよ」 自分に言い聞かせるみたいに呟いた、その時だった。丘の向こう側から、ひやりとした声が落ちてきた。 「この村は、少し退屈すぎる」 姿は見えない。だが、声だけでわかった。誰かがそこにいる。けれど、村の誰でもない。 「……お前が、弄ってるのか」 「弄る、とは違う。配置を変えるだけだ」 その言葉に、背筋が冷えた。外敵じゃない。襲ってくる獣でも、盗賊でもない。村の安定そのものを、眺めるだけの何かが、退屈だと判断して手を入れている。 ふざけるな、と喉まで出かけて、飲み込む。怒りより先に、頭が回った。前世で読んだ仕組み物の話、ゲームのイベント管理、崩れた条件を別の条件で上書きする手口。ここにあるのは、そういう類だ。 「なら、こっちも組み替える」 俺は膝をつき、地面に走る印を指でたどった。村で覚えた道順、帳簿の空白、井戸に映った細い通路。ばらばらだった欠片が、今は手の中でひとつの図になる。しかも、村人たちが集会所で動いてくれたおかげで、灯りは十分にある。見えない糸が、ようやく結べる。 「そんな真似を?」 「村人Aを甘く見るなよ」 口にした瞬間、少しだけ笑えた。目立たない役だからこそ、全体が見える。なら、その役に徹してやる。 俺は村で借りた紐と小石を取り出し、結界の印の上に即席の結び目を作った。強引だが、理屈は通る。退屈を嫌うなら、動きのない配置を与えればいい。崩れかけた糸を一本ずつずらし、余計な力が一点に集まらないよう、村の灯りへ逃がしていく。 「何を……」 声がわずかに揺れた。見えない相手が、初めて戸惑っている。 「退屈なら、見物料でも払え」 俺は印の最後の切れ目に石を押し当てた。ぱちん、と乾いた音がして、光の流れが逆向きに走る。結界が吠えるみたいに震え、それから、ふっと呼吸を整えたように静まった。 丘の上の気配が、ひどく遠ざかる。 「村人A……そうか、そういう置き方だったか」 声は感心したようでもあり、面白がるようでもあった。だがもう、さっきまでの余裕はない。 「次は、もう少し退屈じゃない遊びを用意しろ」 返事は来ない。ただ、封印の光がまだ弱く明滅している。完全に終わったわけじゃない。それでも、今は持ちこたえている。 俺はゆっくり息を吐き、震える指を握りしめた。村の境界の丘に立ったまま、夜明け前の冷気の中で、次の揺れに備えるしかなかった。

9章 / 全10

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