翌朝の空気は、昨夜の紙の匂いをまだ少しだけ引きずっていた。正人は古書店の鍵を確かめてから、町外れへ続く道を歩く。古い倉庫は、朝の光の中でもどこか眠たげに見えた。 入口脇に立つ女性が、こちらを見て軽く会釈する。年は正人とそう変わらないだろうか。作業着の上から薄い上着を羽織り、手には点検用のクリップボードを持っている。 「朝倉さん、でしたね。高瀬咲です。倉庫番をしています」 「朝倉正人です。突然すみません。少し、お話を伺えますか」 「ええ。ここ、静かですから」 咲は倉庫の扉の方へ顎を向けた。大きな鉄扉には新しい擦れ跡が何本か走っている。 「最近、誰かが出入りした形跡があるんです。鍵は私が管理していますけど、完全に閉じたままという感じでもなくて」 「誰か、心当たりは」 「さあ。でも、整理のために古い品を動かすことはあります。町内会で眠っていたものを、この倉庫で一時的に保管しているんです」 正人は胸ポケットのメモを思い出した。倉庫名だけが書かれていた、あの短い走り書きだ。 「ここに、黒い小さな金属箱を見たことはありませんか」 咲は瞬きを一つして、それから首を横に振った。 「箱ですか。いいえ、少なくとも私は知りません。けれど、見た目の似た保管箱ならいくつかありますよ」 「保管箱……」 「ええ。昔の帳面や、行事の札、それに壊れやすい古い品もあります。どれも勝手に触れないようにしていて」 彼女の答えは素直だった。だが素直すぎるぶん、正人は余計に慎重になる。知らないのではないか。それとも、知らないふりをしているのか。 「誰かが最近、倉庫の中を探っていた気配は」 「整理の日に、棚の位置が少し変わっていたことはあります。でも、荒らされたほどではありません」 咲は扉の内側を見やり、声を落とした。 「気になるなら、一緒に見ますか。古い品の整理、今日は少し進める予定だったので」 正人はすぐにうなずかなかった。箱を探すつもりで来たのに、ここで見えるものは箱そのものより、周りに積まれた記憶の方が多そうだった。 「お願いします。ただ、今は大げさにしたくないんです」 「わかっています。町のものは、騒がれると余計に散らかりますから」 咲の言葉に、正人は思わず小さく笑った。だが次の瞬間、倉庫の奥から乾いた木箱のぶつかる音がして、二人の視線が同時にそちらへ向いた。 「……誰か、いますか」 咲は一歩だけ前に出て、クリップボードを握り直した。正人も息を整える。箱の行方はまだ見えない。けれど、この倉庫が無関係ではないことだけは、確かに感じられていた。
灯台守の小さな選択
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