「どうしました」 正人が振り向くと、会場の掲示板の前へ、老婦人が静かに立っていた。いつの間に来たのか、足音の気配すら薄い。 「少し、ここを見ていただけますか」 促されるまま近づくと、掲示板には古い写真が何枚も留められていた。色あせた集合写真、紙の端が丸まった行事案内、そして隅に小さく貼られた寄付者名簿。正人は息を止める。見覚えのある字面が、箱の中の手紙の筆跡と重なった。 「これ……」 「ええ。昔、町を支えてくれた方たちへの感謝を、きちんと形にしようとしていたの」 老婦人の声は淡々としているのに、どこか遠い日を撫でるようだった。 正人は写真と手紙を見比べた。箱の中身は、ただの私信ではない。かつて町を救った人々へ向けた感謝状の下書きだったのだ。だからこそ、途中で止まり、届ける機会を失ったまま箱に残された。 「そんな……僕は、ずっと失せ物だと」 言いかけて、正人は自分の言葉に苦くなる。 老婦人は小さく首を振った。 「失せ物でもあるわ。けれど、それだけじゃないのよ」 正人は掲示板の前で立ち尽くした。探していたのは小さな金属箱だったはずなのに、そこには町の年月が折り畳まれていた。寄付した人たちの名、行事の記録、そして届け損ねた感謝。全部が一つの箱の中で眠っていた。 「僕、誤解していました」 「いいの。気づいてもらえただけで十分」 そう言われると、余計に胸が痛んだ。盗まれたとか隠されたとか、そんな単純な話ではなかった。老婦人はずっと、一度も出せなかった言葉を守り続けていたのだ。 正人は写真の一枚に目を留めた。笑う人々の列の端に、若い頃の老婦人らしき横顔がある。今の穏やかな表情と、同じ目をしていた。 「箱は、ただの箱じゃないんですね」 「ええ。町の人が忘れないようにするためのものだったの」 掲示板の前を、準備を終えた人たちが行き交う。笑い声、紙をめくる音、遠くで鳴る指示の声。そのすべてが、箱の意味を少しずつ裏打ちしていくようだった。 正人はゆっくり息を吐いた。自分は失せ物を探していたのではない。長いあいだ置き去りにされた感謝のかたちを、たった今見つけたのだ。 「……改めて、理解しました」 その言葉に、老婦人は何も言わず、ただ掲示板の写真へ視線を戻した。箱はまだ手元にない。けれど、もう以前と同じ重さでは見えなかった。
灯台守の小さな選択
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