翌朝の空気はまだ少し湿っていて、拓海は門前で一度だけ立ち止まった。錆びた鉄柵はところどころ塗装が剥がれ、閉ざされたはずの場所が長いあいだ呼吸を止めていたみたいだった。住所を控えた紙をポケットに入れたまま、指先だけが妙に熱い。 「ここが……児童館」 つぶやくと、門の隙間から風が抜けた。返事みたいに、古いブランコの鎖がかすかに鳴る。拓海は周囲を見回し、人気のないことを確かめてから、身体を細くして隙間をくぐった。足元には雑草が伸びている。だが、完全に忘れられた場所という感じではなかった。誰かが最近まで通ったような、薄い道筋が残っている。 壁際に近づいた拓海は、ふと足を止めた。白く剥げたコンクリートの端に、色の薄い落書きがいくつも重なっている。その中に、見覚えのある字があった。 「……拓海?」 自分の名前だった。乱暴に書かれたわけでも、丁寧に残されたわけでもない。何度もなぞったあとみたいに、少しだけ丸みを帯びている。 「なんで、ここに」 声が裏返りかけた、そのときだった。 「やっと来た」 背後から聞こえた声に、拓海は振り向く。そこに立っていたのは、見間違えようのない顔だった。少し長くなった髪、昔より大人びた目つき。それでも、笑い方だけはあのころのままだった。 「……結衣奈」 息が止まる。引っ越したはずの幼なじみ。連絡も途切れたまま、もう会えないと思っていた相手が、まるで最初からここで待っていたみたいに立っている。 「驚きすぎ」 結衣奈は肩をすくめて笑った。けれど、その笑顔の奥には、少しだけ緊張が混じっていた。 「これ、あなたが……?」 拓海がポケットの中の紙片を握ると、結衣奈は小さくうなずいた。 「うん。aaaaaaafdgdg、私が残した」 あまりにもあっさりした答えだった。拓海は言葉を失ったまま、彼女の顔と壁の名前を交互に見る。胸の奥で、ずっとほどけなかった糸が一気に引かれる感覚がした。 「どうして、こんな回りくどいことを」 結衣奈は一度だけ視線を落とし、それからまっすぐ拓海を見た。 「見つけてほしかったから。あなたに、もう一度」 そこで彼女は言葉を切った。風が草を揺らし、閉鎖された建物の中で何かが静かに軋む。拓海はその沈黙の中で、名前の書かれた壁を見つめ続けた。
断片を結ぶ町
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