エラベノベル堂

断片を結ぶ町

全年齢

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8章 / 全10

結衣奈は、壁にもたれたまま、少しだけ笑った。 「昔さ、ここで二人だけの合言葉を作ったの、覚えてる?」 拓海は眉を寄せた。覚えているような、いないような。けれど胸の奥に、砂の下から拾い上げるみたいな感覚が走る。 「……なんか、あった気はする」 「でしょ。あれを、引っ越す前にもう一回見つけてほしかったの」 「見つけてほしかったって、俺に?」 「うん。あなたにしかわからない形にしたかったから」 結衣奈はポケットから小さな紙片を出した。そこには、あの意味不明な並びが、何度も折り返された跡つきで書かれている。 「ただの遊びじゃないよ。これ、児童館をもう一度使えるようにするための署名集めと繋げてあったの」 「署名集め……?」 「うん。昔ここで遊んだ子たちや、近所の人にお願いして回るつもりだった。でも最初の合図を見つけられる人がいないと、話の始め方すらわからないでしょ」 拓海は言葉を失った。自分がずっと追っていた文字列は、誰かの気まぐれでも、二人だけの秘密の続きでもなかった。町の空気を動かすための、最初の一滴だったのだ。 「俺が……鍵だったのか」 「鍵、っていうより、思い出してもらう役かな」 結衣奈はそう言って、少しだけ目を伏せた。 「拓海なら、ここに戻ってきてくれるって信じてた。だから、あえて遠回りにしたの」 胸の奥が、熱いのに苦しくない。不思議な感覚だった。忘れていたはずの場所が、名前を呼ばれたみたいに息を吹き返す。 「でもさ」 拓海は紙片を見下ろしながら言った。 「こんなの、俺だけじゃ無理だろ」 「うん。だから、ここから先は手伝ってもらう」 「誰に」 結衣奈は返事の代わりに、ホールの奥へ視線を向けた。閉じた窓から差す昼の光が、床に細い帯を落としている。その向こうに、次の準備へつながる気配だけが静かに満ちていた。 拓海はゆっくり息を吸う。文字列の意味はまだ全部ほどけない。それでも、もう一人で抱える謎ではなかった。 「……わかった。やってみる」 結衣奈の表情が、そこでようやく少しだけやわらいだ。

8章 / 全10

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