エラベノベル堂

衝動の向こうで

全年齢

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7章 / 全10

「……いたのか」 修が息を整えながら近づくと、柚希の兄は雨に濡れた封筒を胸元から引き抜いた。立体駐車場の照明は白く、車体の影を床に長く落としている。コンクリートの匂いと湿った空気が、胸の奥まで冷たく入り込んできた。 「これが、証拠だ」 兄は封筒を開き、中の写真と書類を修の前へ示した。薄暗い中でも、社内の会議室らしき室内と、古い原稿の束が写っているのがわかる。さらに、上層部の一人らしき背中に、見慣れた社章が重なっていた。 「会社は、あれを隠し続けている」 柚希が言う。声は落ち着いているのに、指先だけがわずかに硬い。 「創業者の失踪も、原稿の行方も、偶然じゃない。誰かが意図して止めているんです」 修は写真を見つめたまま、喉の奥が乾くのを感じた。 「ここまで来て、ようやく全体が見えてきたってことか」 「そうです。でも、まだ安心はできない」 兄がそう言った瞬間だった。 背後の車列の間から、靴音がひとつ、ふたつと近づいてくる。振り返るより早く、暗がりにいた人影が伸びた。 「それを渡せ」 低い声。顔はよく見えない。だが、迷いのない歩き方だけで、修は本能的に身構えた。 「来たか」 兄が舌打ちする。 柚希が封筒を抱え直し、修を見た。 「藤堂さん、離れて」 「無理だ」 「お願いします」 その一言が、妙に静かだった。だが修は、もう引けなかった。相手が封筒へ手を伸ばした瞬間、修は柚希の前へ出て腕を振り上げる。心臓が耳の近くで鳴っていた。 「触るな」 自分でも驚くほど、声が出た。 追跡者は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに別の影が車の陰へ回り込む。兄が咄嗟に修の肩を引き、柚希がその隙に封筒を抱えて身を低くした。 「こっちだ、早く」 兄の声に押され、三人は柱の列を縫うように走った。足音が跳ね、濡れた床が靴裏を滑らせる。修は息を切らしながらも、背後に伸びる気配を振り切ろうと必死だった。 「左に回れ!」 兄の指示が飛ぶ。修は言われるまま進み、柚希がすぐ横を追ってくる。彼女の横顔は冷静だったが、その目には今まで見たことのない鋭さがあった。 柱の向こうで人影がぶつかり、何かが床に落ちる乾いた音がした。修は振り返らず、ただ前へ進む。 「藤堂さん」 「なんだ」 「今の、ありがとうございました」 「礼を言うのは後だ」 そう返すのが精一杯だった。自分が身を張るなんて、今日までは想像もしていなかった。だが、柚希の封筒が奪われる光景だけは、絶対に見たくなかった。 やがて、駐車場の出入口に近い明るい方へ抜けると、追ってきた足音は少し遠のいた。完全に撒けたわけではない。それでも、今の距離なら振り切れる。 兄が立ち止まり、息を整えながら後ろを確認する。 「よし、ここで一度切る」 柚希も肩で息をしつつ、封筒を開き直した。中身は無事だ。彼女はそれを確かめると、ほっとしたように目を伏せる。 修は乱れた息のまま、濡れた前髪をかき上げた。 「……俺、今まで何もできなかったのに」 「そんなことありません」 柚希は即座に否定した。 「あなたが前に出てくれたから、奪われずに済んだんです」 その言葉に、修は返事を失った。背後では、まだどこかで誰かが探している気配がある。だが今は、確かに踏み越えた一歩があった。 兄が封筒を握り直し、暗い駐車場の奥を見やる。 「もう少しで、向こうも動くはずだ」 柚希は頷き、修へ視線を戻した。 「次は、もっと危なくなります」 それなのに、彼女の声は不思議と穏やかだった。修はその静けさに、かえって胸がざわつく。 「なら、行くしかないだろ」 言い切った瞬間、三人の間に短い沈黙が落ちた。追跡者の気配はまだ消えていない。だが、封筒は守られた。修は濡れた手で拳を握り、暗い通路の先を見据えた。

7章 / 全10

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