エラベノベル堂

衝動の向こうで

全年齢

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8章 / 全10

資料室の奥は、普段なら鍵のかかった棚と古い紙箱しかないはずだった。だが今夜は違った。兄が管理簿の端を指でなぞり、柚希が棚の内側を確かめるたび、封印された保管庫の扉がひどく重い音を立てて開いていく。 「ここです」 柚希の低い声に、修は息を止めた。ほこりをかぶった保管庫の中、布に包まれた束が一つ、他とは違う押し込まれ方をしている。兄が慎重に引き出すと、薄い写し紙が何枚も重なっていた。 「原本じゃない。けど、十分だ」 「これが、探してたものか」 「ええ」 柚希は頷いた。 「失踪した創業者が残した原稿の写しです」 修は紙面に目を落とした。そこに並ぶ文字は、ただの企画書でも私信でもない。出版社の金の流れ、原稿の差し替え、誰がどこで止めたのかまで、淡々と記されている。喉の奥がひゅ、と鳴った。 「……これ、会社の不正だけじゃないな」 兄の表情が硬くなる。 「気づいたか」 修は次の一行を読んで、指先を止めた。そこには、今の編集部で見慣れた名前があった。修が何度も頭を下げてきた上司の名だ。隠蔽の指示、回収の経路、社内への圧力。まるで最初から、この人だけは外せないと書き込まれているみたいだった。 「嘘だろ……」 声が掠れた。信じていた組織の輪郭が、音もなく剥がれていく。 「藤堂さん」 柚希が一歩だけ近づく。 「これが、私たちが隠されていた理由です」 「じゃあ、俺は……」 「最初から無関係ではありませんでした」 兄が写しを束ね直しながら言う。 「君は編集部の内側にいる。だから、見せられたくなかった人間もいるはずだ」 修は笑いそうになって、やめた。こんなものを見せられて、平気でいられるわけがない。机も廊下も会議も、今までの景色が全部、別の顔をしていた。 「信じてた場所が、腐ってたってことか」 「全部ではありません」 柚希は静かに言った。 「でも、見なかったことにはできません」 修は写しを見つめたまま、息を整えた。守りたいものが仕事だと思っていた。けれど今、守るべきなのは、会社の顔ではなく、紙の中に埋もれた真実だ。 「……俺は、どうすればいい」 その問いに、誰もすぐには答えなかった。保管庫の中で蛍光灯が小さく唸り、三人の影だけが長く重なっている。修は初めて、自分がどちら側に立つのかを選ばされているのだと知った。

8章 / 全10

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