エラベノベル堂

難読魚の寿司店

全年齢

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4章 / 全10

仕込み場の灯りだけが、店の奥で淡く浮いていた。客の笑い声はもう消え、まな板の上にはさっきまでの騒ぎの余韻だけが残っている。玲は袖をまくり、札の並んだ皿を見下ろした。 「さっきのゲームで、だいぶ見えてきたな」 「何がだ」 箱の中から、銀の身をした魚がひとつ身をよじらせる。 「お前らの好みだよ。炙ると伸びる香り、昆布で落ち着く旨み、軍艦で際立つねっとりした余韻。名前が読みにくいほど、味はむしろ分かりやすい」 「随分と勝手な結論だな」 「勝手じゃない。食べた客の顔がそう言ってる」 玲は笑いながら、最初の一匹を炙り台へ移した。皮目に火が走ると、ぱちりと小さく音が弾ける。香ばしい匂いが立つと同時に、魚が目を細めたように見えた。 「お、これは悪くない」 「だろう。お前は見た目の鋭さに、火の抜け方が合う」 次の魚には昆布を軽く当てる。静かに寝かせたあとに握ると、旨みがぐっと深くなった。 「こっちはじっくりが似合う。騒がしいのは似合わない」 「失礼な」 「褒めてるんだ。落ち着いたほうが、旨さが前に出る」 最後の一匹は軍艦にしてみた。海苔の縁から、つやのある身がすこしだけ顔をのぞかせる。 「お前は派手だな。隠し切らないほうがいいタイプだ」 「その言い方は気に入らんが、たしかに目立つな」 「目立つだけじゃない。口に入れた瞬間に、味がほどける」 玲は三つ並べた皿を見比べ、思わず息をついた。さっきまで一律に見えていた難読魚たちが、調理法ひとつでまるで別の顔になる。読めない漢字の向こうに、ちゃんと性格があったのだ。 「……俺、ちょっと分かったかもしれない」 「何をだ」 「お前らは珍しいだけじゃない。珍しいからこそ、扱い方で化ける」 その言葉に、箱の中の空気がわずかに変わった。跳ねたり、文句を言ったりしていた魚たちが、じっと玲を見る。 「化ける、か」 「そうだ。名前に負けるな。むしろ、名前が難しいぶん、味で驚かせられる」 「ふん……」 さっきまで気位ばかり高かった魚が、少しだけ声を柔らかくした。 「ならば、わたしは炙られてやろう」 「上から言うなよ」 「仕方ない。だが、悪くない気分だ」 玲は小さく吹き出した。仕込み台の上では、香りの違う三皿が湯気をほどき、静かな熱を持って並んでいる。厨房の空気は、もう笑いだけではなかった。ひとつひとつの魚に、確かに向き合う沈黙がある。 「よし。明日の看板になる味を、今のうちに決めておこう」 「看板、だと」 「そうだ。お前らの名前は読みにくい。でも、食べれば忘れない。そういう店にする」 魚たちはしばらく黙っていた。やがて、いちばん小さな一匹が、誇らしげに尾を揺らす。 「悪くない。珍しい字面のままで、旨いと言わせるのも一興だ」 「言わせるんじゃない。言いたくなるように握る」 玲がそう言って、次のネタへ手を伸ばす。仕込み場の静けさの中で、魚たちの顔つきが少しずつ引き締まっていく。店の空気は、笑いから真剣さへと、確かにひと段階深く沈んでいた。

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