エラベノベル堂

のろまな亀、真相を追う

全年齢

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2章 / 全10

翌日から、春日ひまりは何でもない顔で瀬尾悠真と向き合った。朝食の席で彼が新聞を畳む手つきに、昨夜まで気づかなかった癖があるように見えた。玄関で靴を揃えるとき、左から先に置く。仕事へ向かう前に必ず時計を見上げる。そんな些細な所作が、なぜか胸の奥をざわつかせる。 「今日は遅くなる?」 ひまりは自然を装って尋ねたが、声が少しだけ裏返った。悠真は気づいた様子もなく、いつもの優しい顔でうなずいた。 「会議が長引くかもしれない。先に寝てて」 その言葉は何の変哲もない。なのに、ひまりには言い終わる直前の一拍が妙に長く感じられた。彼の目が、ほんのわずかに右へ逃げた気がしたのだ。 勤務先でも、彼女は空回りした。資料の確認を先輩に頼もうとして、相手が電話中なのを見て引き返し、次に声をかけようとしたときには別室へ移っている。相談の機会はことごとくすり抜け、結局ひまりは机の上にメモだけを積み上げていった。だが、のろまな亀にも亀なりの進み方がある。彼女は気づかれないうちに、古い帳簿の写し、当時の配属表、退職した職員の連絡先を一つずつ集めていった。 その中で浮かび上がったのは、父の失踪した週の不自然な重なりだった。父が勤めていた倉庫会社の立ち入り記録が、なぜか一部だけ欠けている。しかもその欠落した日付に、悠真の会社が下請けとして出入りしていた痕跡がある。さらに、退職した警備員の証言では、父が最後に目撃された夜、見知らぬ黒い車を見たという。けれど、その車の番号の一部は、当時の社用車一覧と一致していた。 ひまりは自分で見つけた紙束を抱えたまま、何度も相談しようとしては失敗した。先輩の机に置こうとしてコーヒーをこぼし、刑事課の扉を開けた瞬間に会議が始まり、ようやく呼び止めた主任には 「整理してから来い」 と返される。悔しさで唇を噛んでも、彼女は諦めなかった。落ち着いた夜更け、古い通話記録を照合し、失踪当日に父へかかっていた内線が、悠真の勤め先の別部署に繋がっていた可能性まで辿りつく。 だが、核心に近づくほど、悠真の態度は変わらない。むしろ気づかれるはずもないほど静かに、彼はひまりの机に熱い飲み物を置き、帰宅が遅くなる日には玄関に明かりをつけて待っていた。やさしさが真実を隠しているのか、それとも真実と無関係なのか。ひまりにはまだ分からない。ただ一つだけ、父が消えた夜の輪郭が、少しずつ不自然に繋がり始めていた。 そして彼女は、見つけた。父の名義で保管されていたはずの書類が、別人の手で改ざんされた痕跡を。そこには悠真の署名ではなく、別の人物の印があった。ひまりはその名前を見て息を呑む。婚約者ではない。だが、婚約者を巻き込むほど近い場所にいた男の名だった。 彼女は紙を握りしめ、ふと笑った。まだ全部は分からない。それでも、暗い穴の底に落ちたと思っていた父の事件は、確かに人の手で隠されていた。追うべき相手は、今そばにいる優しい婚約者ではない。その先にいる、もっと大きな影だ。ひまりは失敗だらけの足取りで、それでも確かに次の一歩を踏み出した。

2章 / 全10

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