エラベノベル堂

のろまな亀、真相を追う

全年齢

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5章 / 全10

春日ひまりが核心へたどり着いたのは、誰かに導かれたからではない。むしろ何度も転び、同じ書類を落とし、肝心な言葉を飲み込み続けた末の、みっともないほど遅い到達だった。 その夜、彼女は瀬尾悠真を呼び出した。人気のない庁舎裏のベンチで、ひまりは資料封筒を膝にのせたまま、なかなか切り出せずにいた。指先は冷え、唇は乾き、頭の中では言葉だけが先走る。けれど彼女が一枚目の紙を取り出した瞬間、悠真の表情がわずかに変わった。 「これ、見覚えあるよね」 問いは震えていたが、逃げなかった。封筒の中には、失踪当夜の搬出記録、差し替えられた受領書、古い内線記録、そして退職した総務担当の証言が揃っていた。ひまりは一つずつ並べ、父が見たのは会社ぐるみの不正であり、消されたのは父自身ではなく、都合の悪い帳簿の痕跡だったと告げる。 悠真はすぐには否定しなかった。代わりに、長い息を吐いた。その沈黙が、ひまりの胸を痛ませる。知っていたのか。隠していたのか。怒りが喉まで込み上げたその時、彼はぽつりと言った。 「君のお父さんを消したのは、俺じゃない」 その声は、罪を逃れる男のものではなかった。追われる側の、ひどく疲れた声だった。悠真は若い頃、今も残る上司の指示で不正な書類整理に関わらされ、気づいた時には会社の裏取引の流れの中へ沈められていたという。ひまりの父は、その不正を知ってしまった数少ない人間で、口止めのために倉庫から連れ出され、別の事件に巻き込まれたのだった。 「父は、殺されたわけじゃないの」 ひまりがそう言うと、悠真は静かにうなずいた。 「事故に見せかけられた。あの夜、俺は止められなかった。だから黙ったままだった」 彼の告白は、ひまりの想像よりもずっと重かった。怒りは消えない。だが、怒りの向かう先が違うことも分かってしまった。悠真は父を傷つけた張本人ではない。ただ、恐れから沈黙を選んだ証人だった。その事実が、ひまりの中で悲しみを別の形へ変えていく。 翌朝、ひまりは休むことなく上司の前に立った。途中で資料を落とし、拾い集めるのに時間を食い、説明の順番を三度も間違えた。それでも彼女は最後まで話した。父の失踪は単なる行方不明ではなく、倉庫会社の隠蔽と連鎖した事件であり、記録の改ざんに関わった人物がまだ生きていること。誰が何を知り、どこで止まったのか。彼女の報告は、遅いが確かだった。 捜査は動いた。封じられていた倉庫、止まっていた記録、見過ごされてきた証言が一斉に開き始める。やがて父の失踪に関わった責任者たちが明るみに出て、ひまりの父が最後に残した記録も発見された。それは、自分だけではなく他の被害者を守ろうとした痕跡だった。 すべてが明らかになったあと、ひまりは父の名前を告げる記者会見の壇上に立った。手は震えていたが、声はもう逃げなかった。誰かに笑われても構わない。のろまな亀と呼ばれても、真実に届くならそれでいい。そう思えた。 会見後、ひまりはひとりで帰ろうとして、背後から呼び止められた。悠真だった。彼は以前より少し痩せて見えたが、目だけはまっすぐだった。 「許してとは言わない。でも、もう一度やり直す時間をくれないか」 ひまりはすぐには答えなかった。けれど、拒まなかった。父の事件は終わったが、失われた時間まで戻るわけではない。それでも、隠し事の上ではなく、真実の上に立つなら、選べる関係もあるのだろう。 ひまりは小さく息を吸い、少しぎこちなく笑った。 「考えてみる。ちゃんと、ゆっくり」 その答えに、悠真は泣きそうな顔でうなずいた。 翌週、庁内でひまりの報告書は正式に評価された。早さではなく、粘り強さと誠実さが認められ、かつて背中で笑っていた同僚たちも、今では彼女に相談を持ちかけるようになった。 のろまな亀は、もう笑いものではなかった。遅くとも、誤魔化さず、逃げずに進む者として、ひまりは確かにそこに立っていた。

5章 / 全10

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