エラベノベル堂

のろまな亀、真相を追う

全年齢

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7章 / 全10

春日ひまりが本当に腹をくくったのは、誰かを疑い続けることに疲れたからではなかった。瀬尾悠真の沈黙の奥に、怒りで焼き切ってしまうには惜しいほど、複雑な事情が潜んでいると気づいたからだ。 その夜、ひまりは倉庫会社の旧管理棟へ向かった。正式な許可は取ってあったが、受付で書類を一枚取り違え、入館証の写真が一年前のままだと指摘され、顔を真っ赤にしながら裏口へ回ることになった。そうしてようやく入った記録室で、彼女は古びた台帳の束を膝に抱えた。埃っぽい紙の匂いの中、ひまりの指は震えていたが、目だけは逃げなかった。 父が失踪した夜の搬出記録。差し替えられた受領書。通話履歴の空白。少しずつ揃えた断片を並べるたび、ひとつの線が浮かび上がる。だが、その線は悠真へは繋がらない。むしろ彼の会社の上層部、当時の責任者として今も残っている男の名へ、じわりと伸びていた。 そこへ、ひまりを追って来た悠真が現れた。足音を聞いた瞬間、彼女は反射的に身構えたが、彼は止まったまま動かない。 「やっぱり、ここまで来たんだね」 その声には、言い逃れの軽さがなかった。ひまりは台帳を抱きしめたまま、怒りを飲み込んだ。 「知ってたの?」 「全部じゃない。でも、隠されていたことはあった」 悠真はそこで初めて、長く封じていた事情を話し始めた。若い頃、彼は会社の不正に気づき、内部で告発しようとして失敗した。逆に弱みを握られ、記録係のように扱われた末、父の失踪当夜には別件の対応を押しつけられていたという。父が最後に目にしたのは、悠真ではなく、責任者の男とその取り巻きだった。だが、悠真は怖さから口を閉ざした。沈黙が自分と家族を守ると、愚かにも信じたのだ。 ひまりは唇を噛んだ。殴りたいほど腹が立つ。けれど、目の前の男は、父を傷つけた張本人ではない。怯えて、逃げて、結果として真実を埋めた証人だった。 「じゃあ、うちの父は」 「会社の隠蔽に巻き込まれた。見なかったことにされただけだ」 その一言で、ひまりの胸の奥にあった怒りが、別の温度に変わった。悲しみだった。父は消されたのではなく、誰かの都合で闇に押し込まれた。そう理解した瞬間、彼女は膝から力が抜け、危うく台帳ごと床に落としそうになる。慌てて抱え直した拍子に、今度は自分のメモまでばらまいてしまい、悠真が慌てて拾い集めた。こんな大事な場面で、やっぱり自分は不器用だと、少しだけ可笑しくなった。 翌朝、ひまりは資料を抱えて上司の前に立った。途中で封筒を落とし、紙が雪みたいに散って、拾っても拾っても足りない。だが彼女は、そこで黙らなかった。父の失踪は事故ではなく、倉庫会社の記録改ざんと隠蔽の中で起きた。加害の中心にいたのは、今も表に立つ責任者であり、悠真はその周縁で縛られていた人物にすぎない。言葉はたどたどしかったが、証拠は揺るがなかった。 捜査は動いた。古い保管庫から帳簿が出て、当時の関係者が次々と呼び出された。父が最後に残した控えのメモまで見つかり、彼がただ巻き込まれた被害者ではなく、もっと大きな不正を止めようとしていたことも明らかになった。 その知らせが届いた午後、ひまりは屋上の端で風を受けていた。少し遅れて悠真が来る。彼は何も言わず、ただ隣に立った。 「許してとは言わない」 「うん」 「でも、もう一度、ちゃんと向き合いたい」 ひまりはしばらく空を見た。怒りは消えない。失われた時間も戻らない。けれど、父の事件を曇らせていたものが剥がれ落ちた今、彼をただ切り捨てるだけでは、また何かを見落とす気がした。 「考える。急がない」 そう返すと、悠真は深くうなずいた。 その日の夕方、庁内でひまりの報告は正式に採用された。のろまな亀と笑われた彼女は、ようやく誰よりも誠実に真実へたどり着く人間として見られるようになった。ぎこちない沈黙の先で、ひまりは初めて、自分の歩幅で未来を選び取っていた。

7章 / 全10

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