エラベノベル堂

のろまな亀、真相を追う

全年齢

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8章 / 全10

春日ひまりは、父の失踪を追うほどに、自分の足取りまで不器用に重くなるのを感じていた。だが、その遅さがようやく意味を持つ瞬間が来た。 深夜の庁舎で、ひまりは古い搬出記録と通話履歴を並べていた。机の上は紙で埋まり、コーヒーは冷えきっている。そこへ鑑識の後輩が、小さな封筒を差し出した。倉庫の封印棚の裏から見つかったという、父の名が記された控えだった。ひまりは封を切る手を震わせ、そこに書かれた内容を見て息を呑む。父は失踪当夜、何かを見つけたのではない。見つけてしまった誰かを庇うため、記録の改ざんを止めようとしていたのだ。 さらに封筒には、ひまりが疑い続けた瀬尾悠真の名前はなかった。代わりに、今も会社に残る古参の管理責任者の印があった。ひまりは一度だけ目を閉じる。悠真が怪しかったのではない。彼は、父と同じ現場で不正を知り、恐れて口を閉ざしただけだった。疑いが外れた安堵よりも、もっと大きな衝撃が胸を打つ。父を消したのは婚約者ではなく、長年にわたり記録を積み替えてきた組織そのものだった。 翌朝、ひまりは報告のために会議室へ向かった。ところが肝心の封筒を廊下で落とし、散らばった紙を拾っている間に主任が通り過ぎる。慌てて追いかけた拍子に柱へ肩をぶつけ、結局、資料は三つに折れたまま提出することになった。それでも彼女は引き下がらない。折れた紙をそのまま机に広げ、父の名義で残された受領書の不自然な空白、古い通信室の利用記録、退職職員の証言を、一つずつ指し示した。 最初は半信半疑だった上司も、ひまりが最後に差し出した録音の写しで顔色を変える。そこには、責任者が当時の帳簿を差し替えるよう指示する声が残っていた。父は目撃者として現場に残され、揉み消しの混乱に巻き込まれたのだ。事件は事故ではなく、会社ぐるみの隠蔽だった。ひまりの報告は、ようやく扉を開いた。 その午後、捜査が一気に動いた。古い資料室から封印されていた帳簿が回収され、関係者の身柄が順に確保される。夕暮れの廊下で待っていた悠真は、いつになく疲れた顔をしていた。ひまりは立ち止まり、しばらく彼を見つめる。怒りは消えない。けれど、怒りの向け先はもう違っていた。 「あなたは、父を傷つけた人じゃなかった」 そう言うと、悠真は深く頭を下げた。若い頃から不正を知り、家族を守るために沈黙していたのだという。ひまりは胸の奥で、やり場のない痛みを噛みしめた。許すにはまだ早い。だが、誤解で切り捨てるには、この男の沈黙はあまりに重かった。 夜、庁舎を出ると、空は冷たく澄んでいた。ひまりはひとつ息を吸い、少しぎこちなく、それでも確かに前を向く。のろまな亀と笑われた自分が、最後にたどり着いたのは、誰かを追い詰める勝利ではなく、真実を暴くために踏みとどまる強さだった。父の事件は、ようやく光の下に置かれた。新しい関係を選ぶかどうかは、まだ先の話だ。それでも彼女は、もう逃げなかった。

8章 / 全10

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