エラベノベル堂

落語部の昼下がり

全年齢

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3章 / 全10

文化祭まで二週間を切ると、部室の空気はいつもより少しだけ真面目になった。とはいえ、最初の十分で脱線するのは相変わらずで、誰かが差し入れに持ってきた最中の箱を開けた途端、先輩が 「まずは腹ごしらえも稽古のうち」 と言い出す。私は笑いながら台本を開いた。今日の課題は、声の大きさではなく間の取り方だった。 「焦って畳みかけると、聞く方が置いていかれる。噺は走るんじゃなくて、運ぶんだ」 先輩の言葉にうなずきながら、私は自分の出だしを読んだ。けれど、途中の一文でどうしても息が詰まる。そこは登場人物が思わぬ勘違いをしてしまう場面で、笑いを取るはずなのに、私が読むとただ不安そうに聞こえた。 「そこ、悪くないよ」 同級生の女子が、扇子で膝を叩きながら言った。 「不安そうなのも、勘違いのうちって顔になる」 「褒めてるのか慰めてるのか、どっちですか」 「両方。落語部だし」 その返事に、場がふっと軽くなる。私はもう一度読む。今度は、うまくやろうとする力を少し抜いた。すると、さっきまで自分の喉に引っかかっていた言葉が、妙に素直に並んでいく。聞いていた男子が、わざとらしく大げさにうなずいた。 「今のはいい。まるで財布を落としたと思ったら、最初から持っていなかったみたいな切なさがある」 「それ、喜んでいい例えですか」 「十分だ。落語はちょっとずれた方が面白い」 そんなやり取りの最中、文化祭実行委員から借りた高座用の机が届いた。ところが運び込まれたそれは、思っていたよりずっと大きい。部室の入口で引っかかり、全員で右へ左へ押しているうちに、机の脚が畳の縁を外れて、ぐらりと傾いた。 「止めて、止めて!」 誰かの声で部屋が一斉に動く。私はとっさに台本を抱えたまま机を支え、先輩は 「おっと、これは高座が客席に礼をしたな」 と言い切った。すると、焦りで強張っていた顔が皆の間で次々にほどけていく。 結局、机は無事に入った。けれど、その騒ぎのあと、私は不思議な違和感を覚えた。さっきまで確かにあったはずの台本が、ない。鞄の中にも、机の下にも、座布団の間にも見当たらない。 「さっき抱えてたよね」 「抱えてました」 「じゃあ、どこへ行った」 全員で探していると、部室の隅の古い本棚の上から、ひらりと白い紙が落ちてきた。拾い上げると、それは私の台本ではなかった。見知らぬ書き込みだらけの一枚で、最後の行に、見慣れた先輩の字があった。 本番は立つ前から始まっている。落としたと思った声は、笑いの中に戻ってくる 私はその一文を読んで、思わず顔を上げた。先輩は何も言わず、ただ少しだけ目を細めていた。部室の外では、夕方のチャイムが鳴る。私は胸の奥で、その紙切れが持ってきた小さな予感を、まだ名前のないまま握りしめていた。

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