文化祭まで一週間を切ると、部室の空気は紙の端までぴんと張りつめた。はずなのに、最初に始まるのはやはり雑談だった。今日は差し入れのたい焼きを巡って、先輩と男子がどちらが尻尾まで食べる派かで言い合っている。私は台本を開いたまま、つい笑ってしまう。 「笑うのはいい。けど、笑わせる側はもっと大変だぞ」 先輩はたい焼きを一口かじり、扇子で空を切った。 「客は正しい言葉より、揺れた言葉に引っかかる。そこを逃がすな」 私はうなずくが、頭の中では自分の出だしがまだ落ち着かなかった。前回よりは声が出る。けれど、きれいに読もうとすると、肝心の息が細くなる。すると同級生の女子が、机の上の空き箱を指でつついた。 「完璧な箱より、ちょっとへこんだ箱のほうが、なぜか気になるでしょ」 「それは気になります」 「つまりそういうこと」 納得したような、していないような返事のまま稽古は続いた。役の言い回しを変え、間を伸ばし、身近な失敗を一つずつ笑いに変えていく。男子は昨日の朝、靴下を左右反対に履いていた話を持ち出し、先輩に 「それはもう芸だ」 と言われて真顔になっていた。私はそのやり取りを見ながら、自分の番になったらどんな失敗談を差し出せるだろうと考える。 そんな時、文化祭実行委員が慌てた顔で部室に飛び込んできた。舞台で使う予定だった座布団が一組、別の教室へ運ばれてしまったという。皆で探しに行くことになり、廊下を曲がった先で、私たちは思いがけないものを見つけた。座布団の山の横に、私の台本がぽつんと置かれていたのだ。拾い上げると、最後のページに見覚えのない書き込みが増えている。 本番で一番大事なのは、台詞の正しさより、客席の空気を受け取ること 文字は先輩のものだった。けれど、その下に細い字で、誰かの追記があった。 落語は一人で話すが、一人では完成しない 私は思わず周りを見た。先輩は少しだけ目をそらし、同級生の女子は口元を隠して笑っている。男子はなぜか胸を張っていた。 「それ、誰が書いたんですか」 誰も答えない。代わりに、部室のドアが開いて、さっきの実行委員が息を切らして戻ってきた。 「ごめん、座布団見つかった。あと、さっきの紙、なんか大事そうだったから置いといた」 私は紙面を見下ろしたまま、ふっと息をついた。探していたのは座布団だけではなかったのかもしれない。落ち着いた声で読めるようになりたいと思っていた。でも本当は、誰かの言葉を受けて返せるようになりたかったのだ。部室に戻ると、先輩が扇子を手に、さらりと言った。 「じゃあ次は通し稽古だ。今日は笑い損ねても構わない。拾うのは本番だ」 その言葉に、私は台本を抱え直した。胸の奥で、まだ名前のない不安が、少しだけ楽しみに変わっていく。
落語部の昼下がり
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