エラベノベル堂

落語部の昼下がり

全年齢

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6章 / 全10

文化祭当日の朝、私はいつもより早く学校に着いた。まだ人影の少ない廊下を歩くと、遠くの教室から机を引く音がして、胸の奥が急に落ち着かなくなる。部室の引き戸を開けると、すでに先輩たちが揃っていた。ところが、私の台本を持っていたはずの同級生の女子が、なぜか別の紙束を抱えて青ざめている。 「まずい。台本、入れ替わってる」 その一言で、部室の空気が凍った。探していたはずの台本は机の上にある。けれど中身が違う。昨日まで書き込んでいた私の出番の横に、まったく別の噺の冒頭が挟まっていた。しかも、文化祭実行委員から借りた高座用の幕まで、どこかへ運ばれたらしい。 「慌てるな。こういう時こそ、落語は役に立つ」 先輩は妙に楽しそうだった。だが私は笑えなかった。自分の出番がぐらつくと、今まで積んできた稽古まで一気に頼りなく見えてくる。 そんな私の肩を、同級生の女子が軽く叩いた。 「逆に考えよう。台本が迷子なら、私たちが迎えに行けばいい」 男子も頷いて、教室を見回りに走った。私は一人残され、紙をめくる手が震えた。すると、さっきまで書かれていなかったはずの欄外に、見覚えのある字が増えていた。 本番では、失敗を隠すな。迷った顔も、お客には見せ場になる 先輩の字だった。さらにその下に、細い字で追記がある。 笑いは段取りの外から入ってくる その瞬間、廊下の向こうで大きな声が上がった。幕を運んでいた男子が、角を曲がりきれずに別の教室の行列へ突っ込み、なぜかそのまま拍手を浴びている。誰かが 「すみません、今のは仕込みです」 と叫ぶと、周囲の生徒がどっと笑った。 「ほらな」 先輩が扇子で肩を叩く。 「あれはもう立派な前座だ」 私も思わず走り出した。幕を受け取り、ずれた台本を並べ直し、足りない小道具をかき集める。慌ただしいのに、誰も不機嫌ではない。むしろ、散らばった出来事が一つずつ噺の形に変わっていくみたいだった。やがて私の出番が近づくと、先輩が静かに言った。 「お前は正しく読むな。届くように読め」 舞台袖に立った私は、客席のざわめきを聞いた。そこで初めて、緊張の形が少し変わるのを感じた。うまくやることではなく、今この空気を受け取ること。それなら、できるかもしれない。私は深呼吸をして、扇子を握り直した。すると幕の向こうから、さっき拍手を浴びた男子の声が飛んでくる。 「次、間違えても大丈夫です。さっきのは俺で練習済みです」 客席に小さな笑いが起きた。私は思わず吹き出しそうになり、そのまま一歩を踏み出した。まさか本番の前に、部のいちばん大事な見せ場を盗まれるとは思わなかった。けれど、そのおかげで怖さは半分になっていた。台本の続きは、もう紙の上だけのものではない。人の声に支えられて、今ここで生きている。私はそう感じながら、最初の一言を口にした。

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