用務員が去ったあと、部室には紙の擦れる音だけが残った。真白は手帳を机に置き、そこに残る記録を指でなぞる。誰がいつ水を替え、誰が餌を量り、誰が窓を開けたか。見慣れたはずの自分たちの動きが、他人の目を通すと妙に新鮮だった。蒼はページの端をめくりながら、そこに書かれた短い感想に息をのむ。卵かけご飯は、ひとりで食べても胸が温かくなるが、誰かと分けるとさらに意味が増す。奏はそれを読んで、静かにうなずいた。 「ぜいたくって、値段じゃないのかも」 蒼がぽつりと言うと、悠が机に頬杖をついた。 「でも安いだけなら、誰でもそう言える。大事なのは、ありがたさをどう言葉にするかだろ」 真白はその言葉に目を上げた。いつもの悠なら、もっと軽口で逃げるはずだった。だが今は違う。鳥を世話した数日で、彼の中にも何かが根を下ろしている。 そのとき、扉がそっと開いた。廊下をのぞくと、見慣れない少女が立っていた。近所の養鶏場の人の娘だという。彼女は深く頭を下げ、迷い込んでいたニワトリは無事に戻ったと告げたうえで、小さな紙袋を差し出した。中には、今朝拾ったという温かな卵が一つ入っていた。部員たちは言葉を失う。返されたのは鳥ではなく、朝の続きだった。 放課後、弁論部は全校向けの短い発表をすることになった。題目は変わらない。卵かけご飯はぜいたくか。ただし、真白が壇上で口にしたのは結論ではなかった。卵が食卓に届くまでの手間、食べることを当たり前にしない気持ち、そして誰かと同じ皿の記憶が人を少しやさしくすること。その話に、生徒たちは笑いながらも真剣に耳を傾けた。 発表の最後、悠が持ち込んだのは白い茶碗ではなく、部室で育った草の芽だった。会場がざわつく。だが真白はすぐに察した。それはニワトリのために敷いた緑で、引き取り先に届ける途中でこぼれたものだという。結局、あの鳥は学校の外で元気に暮らし、彼らの議論だけが校内に残った。拍手の中、蒼が小さく笑う。 「次は豆腐だな」 真白はうなずき、もう一度手帳を開いた。そこには新しい題目の余白が、ちゃんと用意されていた。
卵かけご飯論争部
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