エラベノベル堂

八十歳の山歩き

全年齢

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2章 / 全10

昼を少し過ぎた台所は、やけに戦場じみていた。慎太郎はテーブルに新聞紙を敷き、その上へ弁当箱を三つ並べると、腕を組んでうなった。 「よし。これで山の昼飯だ」 「多すぎない?」 後ろからのぞき込んだ孫が、早々に吹き出した。弁当箱のひとつには梅干し、漬物、乾き物がぎゅうぎゅうに詰められ、もうひとつには一口菓子が山のように盛られている。 慎太郎は平然としていた。 「山は腹が減る。減らぬうちに入れておくんだ」 「その理屈だと、台所で遭難するよ」 娘がため息をつきながら、別の容器を手に取る。 「水筒もね、こんなに大きくなくていいから」 「なにを言う。水は命だ」 「命を入れるサイズじゃないんだって」 孫は笑いをこらえきれず、慎太郎の隣にしゃがみこんだ。すると、慎太郎の目が急に細くなる。 「なら、おまえも手伝え。山は一人で行くものじゃないらしいからな」 「誰がそんなこと言ったの」 「本に書いてあった」 それだけで、孫は妙にうれしそうにうなずき、弁当箱の並び替えを始めた。重そうな保存食を減らし、代わりに食べやすいものを少しずつ分ける。慎太郎は最初こそ不満そうだったが、やがて素直に頷いた。 その間に、慎太郎は玄関脇に立てかけてあった杖を持ち出してきた。先端を眺め、次に孫を見た。 「これを、山で使う道具にできんか」 「杖は杖でしょ」 「いや、山ではもっと、こう……頼りになる形があるはずだ」 孫は目をきらりと光らせた。 「じゃあ、訓練用に改造しようよ」 「改造?」 「ほら、滑り止めの布を巻いて、持ちやすい印もつけて。それっぽくなる」 慎太郎は一瞬だけ考え込み、すぐに満足げに笑った。 「悪くない。やるなら本気だ」 結局、台所は小さな訓練場みたいになった。孫は床に布巾を数枚置いて段差のまねをし、慎太郎はそこを一歩ずつ越える。娘は笑いながらも、倒れそうになるたびに手を伸ばした。 「そこ、もう少しゆっくり」 「ゆっくりでは山に置いていかれる」 「山をまだ見てもいないでしょ」 「見なくてもわかる。山はせっかちだ」 孫が吹き出すたび、慎太郎もつられて口元をゆるめた。弁当箱は少しずつ整い、杖も、ただの杖よりずっと頼もしい見た目になっていく。台所の隅では水筒が堂々と居座り、まるで次の冒険に出る主役のようだった。 慎太郎はそれらを前にして、ふっと息をついた。 「準備というのは、案外おもしろいものだな」 「今ごろ気づいたの?」 「気づいた。なにせ、わしはまだ登っていないからな」 その言葉に、孫はにやりとした。 「じゃあ次は、もっと山っぽくしようか」 慎太郎がうなずいた、そのときだった。

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