エラベノベル堂

八十歳の山歩き

全年齢

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4章 / 全10

慎太郎は新しいリュックを背負ったまま、商店街の喧騒を抜けて家へ戻る道を、今度は妙にゆっくり歩いた。店で聞いた言葉が、まだ背中に貼りついている気がしたのだ。 「今日はこのまま終わりか」 孫が玄関先で出迎えるなり、わざとらしく肩を落とした。 「終わりではない。始まりだ」 慎太郎は得意げに言い返すが、次の瞬間、膝を軽く押さえて顔をしかめた。 「……ただし、少し休む」 「やっぱりね」 娘が笑いながら、庭先の奥へ続く小道を指さした。 「公園までなら歩けるでしょ。そこで軽く練習しよう。見てるから」 「見張る、の間違いではないか」 「似たようなもの」 そんなやり取りのあと、慎太郎は家族に囲まれて住宅街の公園へ向かった。砂場の脇を抜けると、午後の陽射しが木の葉に砕けて、地面に揺れる影を落としている。慎太郎はそれを見上げ、ひとつ息を整えた。 「よし。歩くぞ」 最初の十歩は、意外なほど悪くなかった。 「お、いけるじゃん」 孫が感心した声を上げる。だが慎太郎が次の角を曲がるころには、もう立ち止まっていた。 「……少し、景色がいい」 「ただのベンチ前だよ」 「だからだ。山は休める場所があるほうが優しい」 「まだ山じゃないってば」 娘の突っ込みに、慎太郎はふんと鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。しばらく歩けば止まり、止まればまた進む。そのたびに家族は顔を見合わせる。だが誰も急かさない。慎太郎もまた、弱音だけは一度も吐かなかった。 「もう一回だ」 「さっきから何回目?」 「数えるな。気持ちが負ける」 「そんな理屈で体力は増えないよ」 「増えなくても、進めばいい」 木陰に入ったところで、慎太郎はようやくベンチに腰を下ろした。息は少し弾んでいるのに、目だけは妙に晴れやかだった。リュックから折りたたんだ地図を取り出すと、丁寧に広げる。 「ここが道で、ここが山か」 「ざっくりしすぎ」 「十分だ」 地図の上を指でなぞりながら、慎太郎はぽつりとつぶやく。 「山はきっと優しい」 娘が苦笑する。 「そんな顔で言うと、説得力あるのが悔しい」 孫も噴き出した。 「さっきまでベンチまでで三回休んだ人の台詞とは思えないなあ」 「休んだぶんだけ、見えるものがある」 慎太郎は地図をたたみ、しわの寄った手のひらで軽く叩いた。家族の心配は、いつしか小さな笑い声に変わっていた。慎太郎だけが、まるで次の坂道をもう見ているような顔で、木漏れ日の中に座っていた。

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