頂へ向かう最後の道は、さすがに主人公にもこたえた。だが本人は苦しさを顔に出さず、息が上がるたびに杖の先で地面を軽く叩いて間を取った。歩くというより、山に挨拶を返しているようでもある。案内役があと少しだと言うと、主人公は信用できんと鼻を鳴らしながらも、足を止めなかった。 その途中、風にあおられて帽子が転がった。若い者が追いかけようとしたが、主人公が先に手を伸ばし、見事に拾い上げた。だが満面の得意顔で被ったせいで、今度は逆さまだった。家族が吹き出すと、主人公は何が可笑しいと本気で首をかしげる。教えられて直したあとも、少し照れたのか、むっつりしたまま飴を一粒口へ放り込んだ。 やがて木々が低くなり、地面に明るい光がこぼれた。そこから先は、石を積んだような小さな広場だった。主人公は足を踏み入れた瞬間、立ち尽くした。眼下には町が豆粒のように散り、遠い山並みが幾重にも重なっている。窓の外で憧れていた景色が、いまは確かに自分の前にあった。 主人公はしばらく黙り、やがて誰にも聞こえないほど小さく、来た甲斐があったなと漏らした。だがその直後、広場の端に立つ古い標柱を見つけて目を丸くする。そこには山頂ではなく、展望台と彫られていた。案内役が少し先に本当の頂があると告げると、主人公は一度だけ空を見上げ、それから笑った。まだ上があるなら、なおよい。若いころから、途中で終わる話は性に合わんのだと。 その言葉に、一行はまた笑った。誰も急がず、誰も置いていかないまま、今度は自然と主人公の後ろにつく。主人公はふらつきながらも背筋を伸ばし、まるでこの山の主人にでもなったような顔で歩き出した。想像していた最後の登山は、もっと静かなものだった。けれど本当に残るのは、静けさではなく、こうして笑い合いながら進む足音なのかもしれない。主人公は振り返り、遅れるなと声を張った。その声は最初よりもずっと軽く、山の風に負けないほど楽しげだった。
八十歳の山歩き
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