エラベノベル堂

居酒屋帰りの三人組

全年齢

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3章 / 全10

翌日の昼どき、店先の暖簾は風にたるみ、まだ客足の少ない通りに、煮込みの匂いだけが細く漏れていた。先生と親方は、昨夜の空席をそのまま連れてきたような顔で立ち止まる。 「昼に来るのは、なんだか落ち着かんな」 親方がぼそりと言うと、先生も苦笑した。 「落ち着かんくらいでちょうどいい。あのまま何も分からんよりはましだ」 引き戸を開けると、店主が布巾を肩にかけたまま顔を上げた。二人の様子を見て、すぐに事情を察したらしい。 「社長のことですか」 「ええ、昨日の夜から気になって仕方がなくてね」 先生がそう言うと、店主は眉を寄せた。 「申し訳ないですが、私も分からないんですよ。あの人は毎晩きっちり来る。けれど、どこへ住んでいて、何をしているかまでは……」 親方が身を乗り出した。 「毎晩きっちり来るってのは、店主さんがいちばんよく知ってるだろ。ほかに何かないのか」 「そうですねえ」 店主は少し考え、奥の皿を拭きながら答えた。 「決まった時間に来て、決まった席に座って、決まったように文句を言う。それくらいです。名前も、みなさんが呼ぶ呼び名しか聞いたことがない」 先生は目を細めた。 「呼び名だけか」 「ええ。だから、探そうにも難しいんです。社長と呼んでいても、本当の手がかりにはならない」 親方が舌打ちする。 「まったく、こんなときに便利な名前じゃなかったな」 「便利どころか、隠れ蓑みたいなものですね」 店主の言葉に、先生は小さくうなずいた。互いを本名で呼ばないのは、この店では長く当たり前だった。だが、その気楽さが、いざ探すとなると壁になる。 「毎晩来るってことは、生活のどこかで動いてるはずだろうに」 「さあ……」 店主は首を振った。 「私は店に立っているだけで、あの人の外の顔までは見ていません。毎夜会っているのに、知らないことのほうが多いものですね」 その一言が、妙に胸に残った。先生は空いた椅子の方を見やり、親方もつられるように視線を落とす。 「知らないからこそ、気楽だったのかもしれん」 「だが今は、その気楽さが少し憎いな」 親方が苦く笑う。店主は何も言わず、湯気の立つ小鍋を奥へ寄せた。昼の光に照らされた店先で、三人のうち一人だけが、やはり輪郭を持たないままだった。 先生は息を吐いた。 「呼び名だけの関係ってのは、こういうとき困るものだな」 親方が頷く。 「けど、それでも何年も続いた。だからこそ、余計に放っておけねえ」 店主は布巾を畳みながら、小さく言った。 「何か分かれば、すぐ知らせますよ。ただ、あの人は本当に、毎晩きっちり来る人ですからね」 その言葉に二人は顔を見合わせた。来るはずの場所に来ない、それだけでこんなにも不安になる。呼び名しか知らないことが、初めて重たくのしかかっていた。

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