喫茶リラの昼は、いつしか時計より早く客の気配で満ちるようになっていた。たい焼きを目当てに来る者が増えるほど、席は埋まり、会話は増え、それでも店の奥にある静けさだけは不思議と残っていた。マスターはその境目を、湯気の揺れ方で見分けていた。 午後三時、いつもの学生二人組が参考書を開いたまま来店した。だが今日は、席に着くなり勉強を始めるより先に、焼き上がりを待つ列に並ぶ。片方が新作のチョコ餡を勧め、もう片方が王道のあんこを譲らない。結局、半分こに落ち着くあたりが、この店らしかった。少し離れた席では、常連の婦人が新聞を畳み、今日もコーヒーだけと小さく言う。ところが鉄板の音が響くと、視線だけがそちらへ吸い寄せられた。 マスターは何も言わず、焼き色の加減を確かめた。客は味だけでここにいるのではない。待つあいだに隣の席からこぼれる一言や、受け取る直前のわずかな高揚に、足を止めてしまうのだと、彼は少しずつ悟り始めていた。注文のたびに生まれる小さな会話は、まるで別々の糸が同じ布に織り込まれていくようだった。 その日の終わり際、スーツ姿の男が珍しく二匹目を頼んだ。いつもは急いで去るのに、今日は窓の外を眺めたまま席を立たない。やがて彼は、昇りかけた月を見上げてぽつりとこぼした。ここに来ると、仕事が始まる前よりも終わった気がする、と。マスターは湯を注ぐ手を止めず、短くうなずいた。 夜が深まる頃、最後の客が帰り、店内には甘い匂いだけが残った。静かになった喫茶リラで、マスターは鉄板を拭きながら、ふと気づく。賑わいはいつの間にか、店を壊すどころか支えていた。落ち着きと熱気は対立していない。むしろ、互いの輪郭をはっきりさせるために必要だったのだ。次の朝もまた、誰かが焼き上がりを待ちながら、知らない誰かと笑うだろう。そう思うと、マスターの口元にわずかな微笑が宿った。
喫茶店のたい焼き事情
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