エラベノベル堂

喫茶店のたい焼き事情

全年齢

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4章 / 全10

扉の鈴が鳴るたびに、夕方の空気が少しだけ変わった。学校帰りのざわめきが入り口付近にほどけて、凛乃は友人の袖を軽く引きながら店の中へ入ってくる。新はカウンター越しにその様子を見て、さりげなく空いた席へ視線を流した。 「いらっしゃい。好きなところへどうぞ」 「ありがとうございます。……ここ、落ち着きますね」 凛乃がそう言うのを聞いた友人が、肩をすくめて笑う。 「まだ入ったばっかりなのに?」 「だって、入り口からもう安心する感じあるし」 新は心の中で、なるほどとつぶやいた。制服姿の二人は、コーヒーのメニューに目を留めるより先にショーケースへ視線を送る。やはり今日も、先に選ばれるのはたい焼きだった。 「二つ、ください。半分こするので」 「かしこまりました」 焼きたてを皿にのせると、甘い匂いがふわりと広がる。凛乃たちはそれを受け取るなり、紙を小さく割いて半分ずつ分け合った。 「熱っ」 「そっち先に食べるからでしょ」 「でもおいしい」 笑い合いながら、彼女たちは席に落ち着く。会話はすぐに弾み、先生の話だの、部活の空気だの、今日の帰り道だの、途切れてはまた続いていく。新はカップを磨く手を止めず、そのやりとりを静かに見守った。 コーヒーを頼まなくても、ここに長居していく。誰かを待つでも、何かを急ぐでもなく、ただ言葉を交わすために腰を落ち着けている。喫茶店なのに飲み物が主役ではないのなら、この店はきっと、話すための場所なのだ。 その確信は、湯気よりも確かに胸の奥へ残った。 「新さん、これ」 ふいに凛乃が顔を上げる。包み紙を丁寧に指先で折り返しながら、少し照れたように続けた。 「たい焼きがあると、初めての店でも入りやすいんです」 新はその言葉に、ほんのわずか目を細めた。 「そうか」 「はい。なんか、入口がやさしいというか」 友人も頷く。 「喫茶店って、ちょっと構えるけど、これがあると平気かも」 新はノートを取る代わりに、静かにうなずいた。たい焼きは空腹を埋めるだけではない。店に入る理由を、最初の一歩に変えている。 会計を済ませた二人が扉へ向かう。鈴の音が軽く響き、凛乃が最後に振り返った。 「ごちそうさまでした。また来ます」 「ええ、いつでも」 扉が閉まり、外のにぎわいが少し遠のく。新は残った甘い香りの中で、入り口のほうを見つめたまま、静かに息をついた。

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