エラベノベル堂

喫茶店のたい焼き事情

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7章 / 全10

昼の光が、焼き型の金具に細く反射していた。新は厨房で手袋を外し、たい焼きの焼き型を布で丁寧に拭い上げる。鉄の継ぎ目に残ったわずかな生地の気配まで確かめながら、昨日までの客の顔を順に思い返した。迷いなく選んだ遥斗。包み方に目を細めた陽子。入口で安心したように笑った凛乃。どの表情も、甘い匂いの前で少しだけ素直になっていた。 「やっぱり、ただ焼いてるだけじゃないな」 小さく呟いたそのとき、店の鈴が鳴った。 入ってきたのは、見慣れない若い客だった。片手には、向かいのチェーン店の紙袋が下がっている。新は手を止めたまま、その様子を見た。わざわざこちらへ来るということは、好奇心か、あるいは気まぐれか。 「いらっしゃい。たい焼きでいいですか」 「はい。一つください」 迷いのない返事だったが、視線はショーケースと厨房を行ったり来たりしている。新はうなずき、焼き型へ再び火を入れた。生地が流れ、じゅっと小さく音を立てる。甘い香りがふくらむと、客は思わず店内を見渡した。 「……なんか、落ち着きますね」 焼き上がりを待つ短い時間にこぼれたその一言に、新は手元を見たまま答える。 「ここ、静かでしょう」 「ええ。向こうは明るすぎて、少し気後れしたんです」 客は紙袋を膝の上に置き、店内の棚や窓際の席をゆっくり眺める。派手な宣伝に囲まれていた目には、この店の控えめな照明がかえって休まるのかもしれない。新は焼き色を確かめながら、反応を逃すまいと耳を澄ませた。 「それに、ここって……入ったら、誰かの時間を邪魔しない感じがします」 新は一瞬だけ動きを止めた。邪魔しない。けれど、ひとりで完結もしない。その曖昧さこそ、この店の空気なのかもしれない。 「お待たせしました」 皿にのせたたい焼きを差し出すと、客は思わず両手で受け取った。湯気に包まれた表情が、さっきよりずっとやわらかい。 「やっぱり、こっちですね」 新がその言葉を聞き返すより先に、客は少し照れたように笑った。紙袋のチェーン店のロゴが、カウンターの隅でやけに鮮やかに見える。けれど、その手の中にあるのは、今焼き上げたばかりの一つだけだった。新は焼き型へ視線を落とし、次の生地を流し込む準備を始める。今はまだ、それ以上のことを言わずにいられる空気が、店内に静かに満ちていた。

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