「常連、ってほどじゃないんですけど」 仕込み場の扉を開けた湊の前で、昼前の光が白く床を滑った。客はまだ少ないはずなのに、カウンターの向こうから聞こえる声は妙に親しげだった。湊は布巾を握ったまま、皿を重ねていた男たちを見やる。 「うち、いつから会員制になった?」 「会員制ではありません」 即答したのは、湯気の向こうに立つ端整な男だった。礼儀正しく、会計の札をそろえ、配膳の順番まで整えている。別の男は片付けた器を静かに返却口へ運び、もう一人は箸を揃えながら客の落とした紙ナプキンを拾っている。働きぶりは文句のつけようがない。だからこそ、湊は余計に落ち着かなかった。 「なんでそんなに自然に働けるんだよ」 「ここに必要だからです」 「それ、俺の店で言うことか?」 男は穏やかに首を傾けた。その動作があまりに古風で、湊の背筋がじわりと冷える。 「本当の呼び出し役は、いつも自分の役目を知らぬものです」 「は?」 「湊殿、客が安心して座れるのは、貴殿の麺が道を開くから」 殿、なんて呼ばれて湊は目を瞬かせた。言い回しが妙に時代がかっている。なのに、笑って流せない重さがある。 「本当に、何者なんだよお前ら」 「ただの手伝いです」 「手伝いにしては口ぶりが古すぎる」 別の男が会計を済ませた客に丁寧に頭を下げた。 「またのご来店を」 その所作は柔らかいのに、どこか儀式めいて見える。客は気まずさなど感じていないらしく、むしろ満足そうに笑った。 「なんか、ここ来るとほっとするんだよね」 「分かる。味もだけど、空気がいい」 湊はその言葉に一瞬だけ黙った。救われた、というほど大げさではない。だが、誰もが口をそろえて、なんとなく楽になった顔をして帰っていく。麺の味だけでは説明できない何かが、店の中に居座っている。 「ねえ、店主」 湊が振り向くと、先ほどの男が片付け終えた手で空中を一礼していた。 「貴殿は正しく呼んでいる。だから我らは来る」 「だからその呼び方やめろって。背中が寒いんだよ」 「畏まりました、呼び出し役」 「話が戻ってる!」 男たちは穏やかに笑う。その笑みが、なぜか人の皮をかぶった古い記憶みたいに見えた。湊は布巾をきつく握りしめ、厨房の熱に包まれながらも、ひやりとしたものが胸の奥を這うのを感じていた。
湯気の向こうのつけ麺店
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