「じゃあ、今日は基礎からね」 結城先輩が軽く手を打つと、部室の空気がすっと練習向きに変わった。机の端に置かれていた楽器たちがそれぞれの手に渡り、私は恐る恐るそれを見比べる。見た目はちゃんとした機材なのに、触れた瞬間に急に難しいものへ変わった気がした。 「七瀬さんは、まず音を出してみようか」 「は、はい」 差し出されたものを受け取って、私は説明された通りに手を置く。けれど、思ったような音はすぐには出ない。かすれたような、頼りない空気だけが漏れて、私の顔が一気に熱くなった。 「え、今のって失敗ですか」 「失敗っていうか、入口の手前」 鈴木先輩が笑いをこらえながら言う。 「でも、ちゃんと進んでる。ほら、力入れすぎかも」 藤堂先輩が身を乗り出して、私の手元を覗き込む。指先の向きや、支える位置を少し直されるだけで、さっきまで沈んでいた感触がふわりと軽くなった。 「お、今のいいじゃん」 「ほんとに?」 「ほんとほんと。さっきより希望がある」 「希望って、そんな言い方あるんですか」 思わず口にすると、部室に小さな笑いが広がった。その笑いに背中を押されて、私はもう一度息を吸う。今度はさっきよりはっきりした音が返ってきて、驚いた拍子に肩が跳ねた。 「びっくりしすぎ」 「だって、出たんですけど」 「出たねえ」 小野寺先輩が静かな声で言う。その一言が妙にうれしくて、私は何度か同じ動きを繰り返した。 次に教わったのは、基本のリズムだった。手拍子に合わせて数を数え、一定の間隔で音を入れるだけ。そう言われると簡単そうなのに、いざやると頭と手がばらばらになる。 「いち、に、さん、し……あっ」 一拍早く入ってしまい、私は固まった。 「だいじょうぶ、今のは気合いが先走っただけ」 「それ、慰めになってます?」 「なってるなってる」 結城先輩が笑いながら、机を軽く叩いて合図をくれる。私はその音に合わせ、今度こそ数を追いかける。けれど油断した瞬間、またずれる。 「うわ、私、向いてないかも……」 「向き不向きの話にするの早いって」 鈴木先輩が肩をすくめる。 「最初はみんな、同じ顔してたよ。七瀬だけじゃない」 藤堂先輩も大げさにうなずいた。 「むしろ、最初から完璧なほうが怖い。人間味がない」 「それ、褒めてるんですか」 「褒めてる」 返事は即答だった。 ぎこちないまま何度も繰り返しているうちに、私は失敗するたびに息を止めていたことに気づいた。うまくいかない瞬間が怖くて、身体まで固まっていたのだ。 「もっと雑でいいよ」 結城先輩の声は、叱るというより寄り添う響きだった。 「音を当てにいくんじゃなくて、流れに乗る感じ。転んでも、笑って戻ればいい」 「……戻れますかね」 「戻れる戻れる。ここ、そういう部活だから」 その言葉に、私は思わず目を瞬いた。うまくできないことを笑われるのではなく、一緒に笑い飛ばしてもらえる。さっきの失敗も、だんだん恥ずかしさより可笑しさに変わっていく。 「じゃあ次は、七瀬さんの番で一回だけ通してみようか」 結城先輩がそう言って、みんなが少しずつ見守る姿勢になる。私は深呼吸して、手元を見つめた。うまくいく自信はない。でも、今なら昨日までの自分よりほんの少しだけ、ここに立てている気がした。
軽音部、はじめての放課後
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