エラベノベル堂

軽音部、はじめての放課後

全年齢

小説ID: cmnhinxji000001mzao30hnxr

3章 / 全10

放課後になると、部室の空気は昼間より少しだけ甘くなる。窓から差す光が机の端を斜めに切り、埃がゆっくり回っていた。美咲がドアを開けると、すでに部員たちは思い思いの姿勢で集まっている。今日は練習というより、選曲会議の日らしい。 「じゃあ、各自一曲ずつ持ってきたってことで」 眼鏡の先輩がホワイトボードを叩く。そこには、誰が書いたのか分からない丸文字で候補曲の名前が並んでいた。流行の曲、少し前に話題だった曲、やたらとサビが高い曲。美咲は自分のスマホを握りしめる。通学中に何度も聴いたあの曲を、部活で演るのは少し勇気がいった。 最初に手を挙げたのは、元気な先輩だった。 「今はこれでしょ。盛り上がるし、踊れるし」 流行の曲名が書かれると、部室の空気が一気に明るくなる。だが、穏やかな先輩は首をかしげた。 「人気なのは分かるけど、うちでやると歌の速さがかなり厳しいかも」 ドラムの先輩は 「四小節目で迷子になる」 とだけ言い、なぜか自分の太ももを指で叩いて拍を数えた。 次に、美咲がそっと手を上げる。持ってきたのは、少し懐かしい曲だった。家で何となく流れていた古い歌で、派手さはないけれど、聴くと夕方の匂いがする。 「それ、渋いね」 「でも、歌いやすそう」 「サビが気持ちいい」 意外にも評判は悪くない。美咲は胸を撫で下ろしたが、その直後に元気な先輩が別の曲を差し込んだ。 「だったら、これもいいじゃん。テンポがちょうどいいし、手拍子できるよ」 机の上では、選曲の紙がどんどん増えていく。演奏しやすさ、盛り上がり、知名度、そして何より好み。基準が増えるほど、話はまとまらない。誰かがいいと言えば、誰かが難しいと言い、誰かが懐かしいと言えば、別の誰かは初めて聞いた顔をする。 「じゃあ、全部やる?」 ドラムの先輩の一言に、部室がしんとしたあと、じわじわ笑いに変わる。 「時間が足りない」 「体力も足りない」 「それ以前に部室が足りない」 美咲は笑いながら、スマホの画面を見た。流行の曲も、古い曲も、どれも違う景色を持っている。みんなの好きがぶつかるたび、部室の中に小さな火花が散る。でも不思議と不快ではない。むしろ、その火花があるから、ここはちゃんと生きている気がした。 やがて、穏やかな先輩がペン先で候補曲の端を軽く叩いた。 「まずは一回ずつ試そう。弾いてみて、いちばん楽しいやつを残せばいい」 その言葉に、みんなの顔が同時にほどける。決まっていないのに、少し前へ進んだ感じがした。 美咲は自分の好きな曲が採用されるかどうかより、誰かの曲を一緒に鳴らしてみたいと思い始めていた。窓の外で部活終了の放送が流れる。けれど部室では、まだ選べない候補たちが机の上で静かに並び、次の音を待っていた。

3章 / 全10

TOPへ
軽音部、はじめての放課後 | エラベノベル堂