朝の体育館裏は、昨日までの雨がまだ床板の隙間に残していった湿り気で、少しひんやりしていた。学園祭当日のリハーサルは、思っていたよりも早く始まり、思っていたよりもあっさり崩れた。 最初の曲の頭で、照明係との合図が一拍遅れたのだ。舞台袖の床に貼っていた目印テープの一枚も、誰かの靴に引っかかって半分めくれている。元気な先輩がその様子を見て顔をしかめた。 「これ、立ち位置ずれる」 眼鏡の先輩は譜面台の向こうで顔を上げ、静かに言った。 「音は合ってるのに、入る場所が見えにくいね」 本番では問題ないはずだった段取りが、動線一つでぐらつく。美咲は譜面を抱えたまま、胸の奥がひやりとするのを感じた。けれど、誰もそこで固まらなかった。穏やかな先輩がすぐに袖へ回り、照明係の生徒に笑顔で手招きする。 「合図を一つ前にしよう。あと、目印はもう少し大きく」 ドラムの先輩は無言でテープの端を押さえ、床にしっかり貼り直した。元気な先輩は空いた時間を使って、袖から見える位置に小さな紙を置く。そこにはたった一行、深呼吸してから入ると書かれていた。美咲はその文字を見て、思わず息をつく。 「こんなの、いるかな」 「いる」 ドラムの先輩が即答した。 「忘れるから」 リハーサルは一度止まり、段取りを最初から組み替えることになった。音を出す順番、袖で待つ位置、照明の入り方。急な変更に頭が追いつかず、美咲は何度も譜面を見直したが、そのたびに誰かの手が隣から伸びてくる。眼鏡の先輩が立ち位置を図にし、穏やかな先輩が声のかけ方を整え、元気な先輩が空気を明るくする。 「大丈夫、今からでも間に合うよ」 その言葉は軽いのに、不思議と軽くない。皆で少しずつ拾い直していくと、崩れたはずの流れが、むしろ前より見やすくなっていった。 最後にもう一度だけ、頭から通す。今度は合図が早く、立ち位置も揃っている。美咲が袖で息を吸うと、胸の中のざわつきが薄れた。転びそうだった段差に、いつのまにか手すりがついている。そんな感覚だった。 通し終わったあと、元気な先輩が舞台袖で両手を握りしめた。 「いける、これ」 誰かがうなずく。美咲も、まだ少し震える指で譜面を押さえながら、小さく笑った。崩れたからこそ見えた穴を、みんなで埋めた。予想外のつまずきは、怖さだけを残さなかった。 本番の扉の向こうから、客席のざわめきが押し寄せてくる。けれど今は、ただ緊張しているだけではなかった。段取りは変わった。だからこそ、五人でひとつ前へ進める気がした。
軽音部、はじめての放課後
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