エラベノベル堂

夜更けの噂と共学の学園

全年齢

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8章 / 全10

夜の校舎は、文化祭前とは思えないほど静かだった。展示準備の喧騒が消えた廊下に、非常灯の青白い光だけが滲んでいる。澪は真柴怜に促され、男子寮に一時的に使われている旧宿直室の前まで来た。中で誰かが眠れずにいると聞き、悠真の名を思い浮かべたのだ。 扉を開けると、山岸悠真が机に伏せるように座っていた。手元には古びた校内誌のコピー。彼は澪たちを見るなり身を固くしたが、やがて観念したように肩を落とした。 「俺、ここが怖いんじゃないんです」 その声はかすれていた。悠真は自分の地元で、夜に学校へ近づくなと言われ続けて育ったことを話し始めた。見えるものに心を縛られるからだと、祖母は何度も言った。だが実際には、縛られたのは外の景色ではなく、家の中に積もった沈黙だったという。誰も怖いと言い出せず、怖い話だけが何代も渡されていった。 「うちの父親も、叔父も、皆同じでした。見たこともない場所を、最初から危ないと思い込むんです。そう言えば、何も考えずに済むから」 澪は息をのんだ。伝承が人を縛るのは、不思議な力のせいではない。恐れを共有し続けるうちに、それが正しい反応だと体に染みつくからだ。校舎の影、窓の反射、夕方の廊下。どれも本当はただの景色なのに、皆で怖がることで意味を持ってしまう。 悠真は震える指で、校史の写しの端をなぞった。そこには、旧村の慰霊の日に、子どもたちが互いの顔を確かめ合って帰った記録が残っていた。誰かに見られることは束縛ではなく、帰る場所を忘れないための合図だったのだと、彼はようやく気づいたと言う。 「でも、学校では逆になった。怖がる方が正しいみたいに、ずっと言い続けた人がいたんじゃないかって」 怜が小さく目を伏せた。その沈黙が、答えの半分だった。澪は机の上の名簿を見た。古い校印の下、かつての記録番号が薄く透けている。消されたはずの記憶は、消えたのではなく、誰かが怖れの形にして受け継がせていたのだ。 その時、廊下の向こうで足音が止まった。誰かが息を呑む気配がする。澪が振り向くと、扉のすき間に光が差し、そこに立っていたのは男子たちだけではなかった。女子生徒たちも、委員も、文化祭の実行係も、みな不安そうにこちらを見ていた。 悠真はゆっくり立ち上がった。怯えを隠すのではなく、見られるままにするように。 「俺たち、ずっと怖がらされてたんです。だから怖がるのが癖になってた」 その言葉は、小さな震えだったのに、廊下にいる全員を静かにした。澪は頷き、窓の外を見た。夜空の下で、校舎の反射だけが揺れている。もう何も潜んでいない。ただ、誰かの記憶が薄く貼りついているだけだ。 翌朝、文化祭の開門前に、男女の区別なく全員で校舎を回ることが決まった。怖さを確かめるためではない。怖さを、ひとりで抱えないために。悠真が最初に笑った。ぎこちないが、確かに人の顔だった。 そして最後に、怜が取り出した封筒の中から、ひとつの追記が見つかった。白鳳学園は、もともと避難のために開かれた学び舎だった。誰も閉じ込めるためではなく、夜に迷った者が顔を見失わないようにするための場所だった。

8章 / 全10

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