エラベノベル堂

あおい、料理大会へ

全年齢

小説ID: cmnhj5wnn001301mzih0zkydh

7章 / 全10

本選の中盤、あおいは息を整えながら鍋の火を少し落とした。向かいの相良は、慌てる素振りもなく次の皿へ移っていく。手元の動きには無駄がなく、仕上がりも揺るがない。審査席の視線がそちらへ流れるのを見て、あおいの胸に冷たいものが差した。自分の料理は、まだ足りない。そう見えてしまうのは事実だった。彩りは控えめで、形も華やかではない。だが、ここで焦れば祖母から受け継いだ味が薄まる。あおいは包丁を置き、昨夜まで何度も思い返した食卓の記憶を呼び戻した。 帰宅した父が無言で椅子に座り、祖母が味噌汁の椀をそっと置く。湯気に顔をほどかれた父が、ひと口めで肩の力を抜く。その景色は、幼いころから何度も見てきたはずなのに、今は不思議なほど鮮明だった。あおいはその温度を、そのまま皿に移そうと決めた。派手な驚きではなく、ふと胸の奥がほどけるような一口。記憶の扉を開けるような味。 鍋に入れたのは、少し甘みの強い根菜と、細かく裂いた鶏肉、それから干し柿をほんのわずか。最後に祖母が好んだ白味噌を溶かし、だしでゆっくりまとめる。口当たりはやわらかく、後から静かな香りが追いかける。器には熱を含ませ、中央に小さな山を作ってから、青菜を寄り添わせた。見た目はおとなしい。けれど湯気が立つだけで、どこか懐かしい気配が広がった。 試食に来た審査員が、スプーンを口に運んだまま動きを止める。次の瞬間、目尻がわずかに下がった。別の審査員は、まるで思い出を確かめるように、もう一度ゆっくり味わっている。ざわついていた会場が、少しずつ静まっていく。誰かが小さく、これ、家で食べたようなと漏らした。その一言が波のように広がり、見物客の表情までやわらいでいく。 あおいはそこで初めて、自分の料理が誰かの時間を連れてきたのだと知った。勝ちたい一心で磨いてきた技よりも、記憶に触れる温もりが、人の心を動かしている。相良の洗練された皿が確かな強さを持つ一方で、あおいの一皿は会場全体の空気を変えていた。華やかさでは負けているはずなのに、誰もがその湯気を目で追っている。 次の瞬間、審査席の前に並んでいた小さな子どもが、母親の手を引いてあおいの台の近くまで来た。あおいの鍋から漂う香りに、子どもが急に笑った。まるで、忘れていた何かを思い出したみたいに。あおいはその笑顔を見て、胸の奥が静かに震えるのを感じた。まだ勝敗は見えない。けれど、会場の空気はもう、完全にこちらを向いていた。

7章 / 全10

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