本選の終盤、あおいはまな板に置いた葱を見つめたまま、背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。次の一品で流れを決めるはずだったその時、足元の作業台が小さく揺れ、据え付けられていた火力調整器のつまみが空回りした。短く息をのむ。鍋の中のだしはすでに温まっているが、火が安定しない。このままでは、仕上げの加減が狂う。相良の台では変わらず整った音が続き、審査員の視線もまだそちらへ残っていた。あおいは一瞬だけ奥歯を噛みしめ、それから両手を止めた。焦っても鍋は待ってくれない。なら、今ある道具でやるしかない。祖母の台所では、よくあることだった。火が弱いなら鍋を寄せ、強すぎるなら少し離す。器が足りなければ、小鉢で分ける。あおいはその基本を、頭ではなく手の感覚で思い出していく。まず、火の影響を受けにくい具を先に取り分け、別の鍋で最後の温度だけを整える。次に、香りの強いものを細かく刻み、短い時間でも立ち上がるように組み替えた。大きな鍋で仕上げるつもりだった汁物は、急きょ小さな鍋に分け、順番を逆にして味をつないだ。予定どおりではない。けれど、練習で何度も繰り返した下ごしらえが、迷いをほどいてくれる。包丁の音が、さっきまでより澄んで聞こえた。熱が足りないなら、余熱を使う。見せ場が崩れたなら、盛りつけで呼吸を整える。あおいは器を温めるかわりに湯気を逃がさぬよう布巾をかけ、最後に青菜を高く置くのではなく、汁に沈まない程度にそっと寄せた。地味でもいい、崩れないことが先だ。そう言い聞かせるたび、手は少しずつ速さを取り戻していく。やがて、ひと椀目が審査員の前へ運ばれた。会場は、器が小さいことに気づいてざわめく。だが、ひと口を含んだ者から順に、表情が変わった。火の不安定さを逆手に取ったぶん、だしは角を失い、具材はいつもよりやわらかく馴染んでいたのだ。あおいはその顔を見て、胸の奥で何かがほどけるのを感じた。予定外の崩れも、基本があれば味方に変えられる。完璧な道具より、迷った時に戻れる手順のほうが、ずっと強い。審査席の端で、相良がわずかに目を細めた。あおいは次の小鍋へ手を伸ばし、もう迷わなかった。
あおい、料理大会へ
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