停電は、思いがけない合図だった。上映の最中、館内の灯りがふっと消え、スクリーンだけが青白く残る。客席から小さな悲鳴が上がり、誰かが立ち上がる気配がした。けれど私は、むしろ耳をすませた。暗闇の中で、あの囁きが消えずに浮かんでいたからだ。 館長が懐中電灯を手に走ってきた。 「動くな、足元に気をつけろ」 ぶっきらぼうな声なのに、焦りがにじんでいる。私はその肩を追い越して、映写室へ向かう細い階段を見上げた。さっきまで聞こえていた音は、電源が落ちた途端、逆にくっきりした。うなるような機械音の底で、古い録音の断片が重なっている。人の息づかいに似た、けれど少し機械じみた響き。私ははっとして、壁際の装置に手を伸ばした。 「ここ、鳴ってるよ。停電で止まったのは灯りだけじゃない」 懐中電灯の光で照らすと、古びた再生装置のつまみの陰から、細いテープが見えた。そこには、昔の案内音声が残っていた。さらに、その下にある風車みたいな部品が、非常電源の切り替わりで一瞬だけ回り、録音を引き延ばしていたのだ。仕掛けの音と、残された声と、今の停電が重なって、あの不思議な囁きになっていた。怖いものだと思っていた気配は、むしろ映画館を盛り上げようとした人たちの工夫の名残だった。 館長はしばらく黙っていた。やがて、長い息を吐く。 「……昔の演出だ。驚かせるために、わざと残した」 「やっぱり。怖い声じゃなかったんだね」 「怖がらせるつもりは、半分くらいだったがな」 思わず笑いそうになったそのとき、ロビーの奥で誰かが拍手した。見れば、停電でも帰らずに待っていた客たちが、懐中電灯の輪の中で顔を見合わせている。ひとりが言った。 「これ、面白いじゃないか」 別の誰かも頷いた。さっきまで不安に揺れていた空気が、少しずつ熱を帯びていく。 私は館長を見上げた。彼の顔には、戸惑いと、隠しきれない安堵が同時に浮かんでいた。電気が戻るまでのわずかな間、映画館は暗いままなのに、なぜか前よりずっと明るく感じた。怖い囁きの正体がわかっただけで、ここはただの古い建物ではなくなった。誰かが笑わせようとして、誰かが守ろうとして、長い時間をここに積み重ねていたのだ。 やがて灯りがぱちりと戻ると、館長は照れたように目をそらした。けれど、その口元はたしかに緩んでいた。私は心の中で、次のことを考えていた。停電であばかれたこの仕掛けを、ただ直すだけじゃもったいない。むしろ、もっと多くの人に見せたほうがいい。そう思った瞬間、映画館の奥でまた、あの音が一度だけ鳴った。今度は、まるで来いよと誘うみたいに、やさしく。
古い映画館の声
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