エラベノベル堂

古い映画館の声

全年齢

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9章 / 全10

特別上映会の準備は、思ったより騒がしかった。私は開館前の映画館に駆け込み、館長がうずくまるように古い映写機をのぞき込んでいるのを見つけた。金属の棚には工具、巻き戻したフィルム、半分だけ外れたネジが散らばっている。 「おはよう、館長。順調?」 館長は顔も上げずに答えた。 「順調に見えるか」 その言い方で、順調ではないとわかる。私はしゃがみ込んで、映写機の横を覗いた。つまみの一つが外れ、古い布が巻き込まれている。どうやら、昨夜のうちに機械がご機嫌を損ねたらしい。 「これ、私が回す」 「子どもに任せる気はない」 「じゃあ、館長が回して。私は押さえる」 言い返すと、館長はため息をついた。それでも手を止めないあたりが、この人らしい。私は工具箱から細いレンチを選び、教わった通りに少しずつ締めていく。ネジは思ったより固くて、指先がじんじんした。 そのとき、客席のほうからぱちんと乾いた音がした。振り向くと、古いスピーカーのカバーが外れ、埃がふわりと舞っている。 「うわっ」 私は慌てて立ち上がり、頭をぶつけた。館長が初めて、声を漏らすように笑った。 「騒がしいな」 「機械が先に騒いだんだよ」 笑いながら拾い上げたカバーの裏には、まだ色あせた紙が貼ってあった。昔の催しの説明だ。私はそれを館長に差し出した。 「これ、飾るなら貼り直したほうがいいよ」 「そんなものまで残っていたのか」 二人で作業していると、ロビーの扉が開き、近所の人たちが様子を見に来た。八百屋のおばさんは差し入れの菓子を置き、自転車屋の主人は椅子を持ってきた。町の大人たちが、まるで昔からそうしていたみたいに手を貸してくれる。 「懐かしいなあ」 「この音、まだ鳴るのか」 誰かが口にするたび、館長の目つきが少しずつ変わっていった。困り顔なのに、どこか居場所を見つけたみたいな顔だ。 午後になるころ、非常用の古いランプが一つ、ふいに点いた。試しに電源を入れると、例の仕掛け音が、前よりくっきり響いた。古い録音と空気の振動が重なって、客席のすみまでやさしく届く。 「これだ」 私は思わず言った。 「前より面白い」 「面白がるな」 「だって、みんなで直したんだよ」 その一言で、館長はようやく肩の力を抜いた。手を止めた彼の横顔は、昨日までより少し若く見える。 やがて夜、特別上映会が始まった。客席は町の人で埋まり、子どもたちは目を輝かせてスクリーンを見上げる。仕掛けの音が鳴るたび、笑い声が起きた。失敗しても、それすら次の笑いにつながる。途中で字幕が少しずれたときも、誰かが小さく拍手し、別の誰かが 「それも味だ」 と言った。 上映が終わるころ、館長は入口のそばに立ち、いつもの無愛想さを忘れたように人々を見送っていた。 「また来るよ」 「次もやってくれ」 その言葉に、彼は短くうなずいた。私はその隣で、映画館の壁に耳を寄せる。もう囁きは怖くない。古い機械と人の記憶が、ここでちゃんと息をしている。 帰り際、館長がぽつりと言った。 「お前、ほんとうに余計なことばかりするな」 「それ、褒め言葉?」 「たぶんな」 私は笑った。町はずれの古い映画館は、ただ守られるだけの場所じゃなかった。失敗して、直して、笑って、そのたびに少しずつ新しくなる。私は背中を向けたあとも、スクリーンの白い光がまだ自分を見送ってくれている気がして、なんだか誇らしかった。

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