エラベノベル堂

旧校舎の壁画と失踪

全年齢

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6章 / 全10

文化祭の喧騒が遠ざかったのは、校内放送が最終下校を告げる少し前だった。僕たちは旧校舎の三階広間に戻り、集めた紙片を机代わりの古い木箱に並べた。真鍋が欠けた端を合わせるたび、文はゆっくりとひとつにつながっていく。壁画は記憶の帳簿ではなく、学校に残した思い出を守る記録装置。変化は偶然ではない。見る者の関係や忘れかけた約束に反応して、必要な人物を浮かび上がらせるのだという。最後の一片に残っていたのは、佐伯の字だった。 ここに来たらわかる。探しているのは私じゃない。準備が必要だ 真鍋が顔を上げた。 「準備って、何を」 その答えは、広間の奥に残された古い収納扉が開いたことで見つかった。中には埃をかぶったアルバム、卒業生の寄せ書き、使われなくなった校旗が積まれている。どれも、ただ眠っていたわけではない。壁画の前に立つたび、誰かが少しずつ持ち込み、忘れられそうな記録を預けていたのだ。佐伯はその手伝いをしていたらしい。失踪ではなく、学園の古い思い出を残すための作業だった。 僕たちは呆然としたまま、アルバムを一冊開いた。そこには十年前の文化祭の写真が並び、壁画の前で笑う先輩たちの顔があった。そしてページの端に、今と同じように小さな丸い字で、また来年もここで、と書かれている。真鍋が息を呑む。その隣の写真には、まだ若い小林先生がいて、今よりずっと軽い顔で笑っていた。 「まさか、先生まで」 僕の声に、背後から控えめな咳払いが返った。振り向くと、廊下の暗がりに佐伯が立っていた。心配になるほどやつれているのに、目だけは妙に晴れやかだった。次の瞬間、その後ろから小林先生が現れ、頭をかいている。 「騒ぎになる前に言えって、何度も言ったんだがな」 佐伯は肩をすくめた。 「言ったら、普通に止められるでしょう」 僕たちは怒るべきなのに、なぜか先に笑ってしまった。失踪だと思って追いかけたものは、実は誰かが残した大事な支度だった。壁画の中の生徒たちは、僕たちの前で少しずつ表情を変え、今夜の記録として新しい顔を受け取る。怖さの正体は、見えないものではなく、知らないまま過ごしてきた時間だったのかもしれない。 そのとき、壁画の中央に、見慣れない空白がひとつだけ現れた。佐伯がそこへ手を伸ばし、絵筆もないまま指先で軽くなぞる。すると空白は、まだ名前のない新しい笑顔に変わった。僕は息をのんだ。記録装置は過去を守るだけではない。次に残すべき誰かを、静かに待っている。窓の外では、文化祭の片づけが終わり、夜風が校舎を撫でていた。

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