佐伯が残した紙片をつなぎ合わせた夜、僕たちはようやく壁画の前に立った。文化祭の片付けで騒がしかった旧校舎は、今は息をひそめたみたいに静かで、広間の窓だけが青白い月を映している。真鍋が懐中電灯を落としそうになりながら、壁を見上げた。 「増えてる」 そこには、佐伯そのものではない顔があった。見覚えのある髪型に、いつも机を並べていたときの姿勢。その笑顔は本人というより、誰もが佐伯に抱いていた印象をそのまま形にしたようだった。僕が息を呑むと、背後で小林先生が低く笑った。 「それが答えだ。あいつは自分を残したかったんじゃない。残るべきものを残したかったんだ」 佐伯は黙って壁の前に進み出た。指先で空中をなぞると、絵の輪郭がかすかに揺れる。ここに現れたのは本人の写しではなく、仲間たちが抱いてきた象徴だという。いつも人をまとめ、先に笑って場をつくる佐伯らしさ。その印だけが、壁画の中で新しい席を得ていた。 さらに、小林先生が古い記録箱を開くと、閉鎖の理由も見えてきた。十数年前、旧校舎で火災騒ぎが起きたという噂が広まり、誰かが曖昧な記憶のまま危険だと決めつけたのだ。実際には、焦げた臭いの出どころは理科室の実習で、旧校舎は無事だった。それでも噂だけが独り歩きし、やがて立ち入り禁止になった。 「誰も確かめなかったんですね」 僕がつぶやくと、小林先生は肩をすくめた。 「確かめる前に、みんな怖がるからな。怖い話は、少しずつ都合よく育つ」 佐伯は苦笑しながら頷いた。壁画の変化も同じだった。誰かが貼った新しい紙片、残された合図、記憶を思い出させる配置。それらが重なって、怪異のように見えていただけだ。人の思い込みと工夫が、何年もかけて不思議を作っていたのである。 そのとき、広間の隅で紙束がふわりと落ちた。拾い上げると、最後の一枚にこう書かれていた。怖がらせたかったわけじゃない。ここを忘れないでほしかっただけ。僕たちは顔を見合わせ、言葉を失った。怪物じみた何かを追っていたはずなのに、そこにいたのは、壊れそうな思い出を抱えた何人もの気持ちだった。 壁画の中の佐伯は、もう消えない。だが僕らが見ていた怪異は、たぶん最初から人の心が作った影だった。真鍋が苦笑して、もう一度だけ壁を見上げる。そこには、卒業を待つみたいに穏やかな笑顔が並んでいた。旧校舎は、ようやく本当の静けさを取り戻していた。
旧校舎の壁画と失踪
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